公民館の階段を駆け上がる直前までこのグラウンドに立っていた
Photo by Y.K

 振り返って、息子の名前を呼んだものの、グランドのどこにいるのかわからない。犬を肩に担いだまま、慌てて公民館の2階に駆け上がった。その瞬間、水が2階の床スレスレにサーッと流れて来た。かつて映像で見たスマトラ沖の津波とは明らかに違う、真っ黒い水だった。

「階段を上がる途中、後ろにいた男の子が、波に持っていかれたんです。慌てて2階のベランダに出たけど、渡すロープも何もないし。大声で呼びかけるうちに、渦巻きに巻き込まれていって…。公民館のすぐそばにいた人たちだけしか、助かっていないと思う」

 ベランダが瓦礫の漂流物をブロックしてくれて、2階の窓ガラスは割れなかった。

「息子をほめてあげたい」
10遺族が中学校に慰霊碑を建立

前回の連載で紹介したように、震災時、グランドの角にある防災行政無線は、まったく鳴らなかった。

「なんで無線が鳴らなかったんだろう」と、みんなで話をした。まさか故障しているとは夢にも思わなかった。

 長男は、閖上中学校の手前の「閖上クリニック」の瓦礫の中から見つかった。

「波が見えてしまったので、先の中学校に向かったんだと思います。一緒にいた友人は、学年でもっとも足の速い子で、中学校まで走りきったそうです。息子も一緒に走ったけど、たどり着けなかったって…」

 ゴールの中学校までは、あとわずかだった。

「そこまで走れた息子をほめてあげたいと思って…。だから、私は、ゴール地点の中学校に慰霊碑を建てたいと思ったんです」

 震災の後、Aさんは毎日のように、何もなくなった閖上の自宅跡に行ってみた。その頃、訪れる人は誰もいなくて、このまま何もなかったことにされては大変だと思った。

「息子は、自分が死んだことも理解していないだろうから…」

閖上中学校に設置した献花台を手入れするAさん
Photo by Y.K

 閖上中学校に、1人で献花台をつくり、瓦礫の中から拾ってきた小さな仏像や観音様などを並べた。こうして1人で毎日、拝んでいるうちに、他の人たちからもお花やペットボトルなどが供えられるようになった。

 そのうち「ここでは何人亡くなったの?」と聞かれるようになったので、「死んだ人たちだって復興されたいと思っている」と、机の上にマジックでメッセージを記した。

 Aさんは、閖上中学校の生徒の遺族会を立ち上げ、昨年の3月11日、慰霊碑の除幕式を行った。石屋が材料代だけで建ててくれた100万円余りの費用は、遺族が出し合った。