どの時代もどの場所においても人間はしんどい

自分が自分を<br />しんどくさせている<br />【小倉広×木暮太一×ジョン・キム】(前編)

木暮 小倉さんは近著『僕はこうして、苦しい働き方から抜け出した』で、しんどさを抜け出した話を書いてベストセラーになっています。僕は『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか』という今進行形のしんどさにスポットを当てて本を書いたんですが、そもそも資本主義の中で働き方がしんどくなってしまう理由に関してちょっと考えてみたいんです。いろんな要素があると思うんですね。人間関係とか、ノルマとか、やりがいとか。小倉さんご自身はどういうところがポイントかなと思いますか。

小倉 悩みの8割は人間関係だと言われていますよね。結局、人間は他の動物と何が違うかというと、社会的だということです。わかりやすい例でいうと、岸田秀さんっていう学者さんが「人間は本能の壊れた動物である」と言っています。基本的には動物は社会性がなく、お腹がすいたらごはんを食べ、眠いといえば寝て、本能で動いている。でも、人間は本能が壊れてしまっているから、生きる理由が必要だ、と。自分自身に意味づけしないと生きていけない。

 生きる意味や理由がなくなると、下手をすると喪失感を感じて自殺をしてしまったりする。結局、社会の中で意味を感じたり、だれかの役に立ったり、だれかに褒められたり、認められたりしない限り、一人だけでは幸せや満足を感じられないのが人間というものだと思うんですよね。

 だから僕は人間関係の悩みっていうのは尽きないと思うし、人間関係の悩みがない人はおそらくいないと思うんです。そこから逃げて幸せはないというか、しんどさからは抜けられない。例えば仕事がうまくいかない、商売もうまくいかない、売上が上がらないといっても、結局それは人と人の社会の話。当然、価値の提供はありますが、それよりもストーリー的な満足というのかな、そういうものが必要になっている。むしろ、人間関係は避けて通れないし、逆に今はクローズアップされている気も私はします。

キム 僕はたとえ個人がしんどい思いをしても、それは社会のせいではない気がするんです。どの時代もどの場所においても人間はしんどい。それは人間という動物が権力関係の中で生きているから。『媚びない人生』の中でも書いた、自然体で生きていくことは、ある意味ではもっとも不自然なことでもあるし、人間が社会の権力関係の中で、自然体として自分を打ち出すには内面的な強さがないとなかなかそういうことはできない。他者に合わせてしまったり、いつの間にか妥協して媚びてしまう自分を発見することになる。

 例えば100年前の日本と今の日本とどっちが幸せかといえば、それは一概には言えないわけじゃないですか。戦後直後の日本と今の日本、どっちが幸せかと言われたら、たぶん大人は今の方が幸せだと言うと思うんですが、ただ人間は二百年も三百年も生きるわけではなく、たまたまわれわれであれば1970年前後に生まれて、たまたま自分が選択できない社会の中で生きていくので、そこにはもちろんしんどいこともあれば、いろんな恩恵を受けながら助かっている部分も両方あると思うんです。

 しんどさの根元は自分が自分をしんどくさせているところにあると理解しないと、問題の解決策にはならないと思うんです。自分自身が自分の内面の捉え方を変えることによって、いかに昨日より幸せな自分をつくれるのか、昨日より信用できる、信じられる自分というものを構築できるか。そんなふうに持っていった方が、時間がかかるように見えて、一番確実で、一番解決に近いんではないかと思います。

木暮 僕は慶応大学を出て、新卒で富士フイルムに入りました。そのあとサイバーエージェントという会社に転職し、リクルートに転職して、3年前に独立しました。社名だけを聞くと、ああ、すごい有名なところばかり行ってるよね。さも狙ってキャリアステップを踏んでいったかのように思われるんです。

 でも、富士フイルムに入ったのは、会社の近所で食べさせてもらった焼肉が、びっくりするくらいおいしかったからだったりします(笑)。サイバーエージェントに入ったのも、たまたまでした。そんな感じだったんですが、他人からは戦略を立ててやってきているように見られているんですね。
 だから、「俺は木暮とは違うからそういうことはできない」「私は木暮さんと全然違うので木暮さんの働き方はいいと思うけど、全然できません」みたいなコメントは聞こえてくることが最近、とても多いです。

 今の自分には何もないと思っている人が、理想の働き方にたどり着くには何が必要になるのか、何をしなければいけないのか、ちょっと考えてみたいんですね。
 仮に20代の大学生に話をするとしたら、何をすれば理想の働き方になれると語りかけますか。