成果主義の失敗と反動としての
「コミュ力主義」は現実的か

 安倍政権が志向する「アベノミクス」は、これまでのところ良い成果を出しており、久々に日本に活況が戻ってきそうな気配だ。これによって、いわゆる「失われた○○年」を取り戻す時期がやっとやってきた、という論調も見受けられる。

 マクロ経済は私の専門ではないので、アベノミクスの効果についての詳しい分析は専門家に任せたいが、1つ言えるのは、15年前と今では人々の「働き方」、あるいは「働くための価値観」は大きく違っている。そのため、仕事の進め方、効率性などについては、バブル期以前そのままのやり方ではうまくいかないだろう。そしてそのことは、ビジネスの現場にいる社員自身が肌で感じていることでもある。

 バブルがはじけ、企業業績が悪化した際、多くの企業が米国方式の「成果主義」を導入した。しかしながら、その評判は良いとは言えなかった。日本の組織文化にはそぐわないという考えのもと、いったん導入した成果主義を止めてしまった企業も多かった。

 確かに、成果主義を日本の組織に適用することは簡単ではない。そもそも権限の境界があいまいで、業務責任についても暗黙の了解で進めてきた組織だったため、プロジェクトが成功したり失敗したりするごとに、誰の責任かを事後的に議論しなければいけなくなったり、360度評価を導入しても、評価内容がバレることのデメリットの方が大きくてほとんど機能しなかったり、といったことが頻繁に起こっていた。

 その一方で、拙著『不機嫌な職場』や『フリーライダー』で述べたように、職場の人間関係は希薄になり、組織が疲弊した挙句、「タダ乗り」をする者がオイシイ思いをする状況ができ上がる。それがますます労働意欲を削ぎ、生産性を低下させる、といった問題も起こってきた。そんななか、企業は採用の際に「コミュ力」を重視するようになった。最近の就活生の話題も、もっぱら「コミュ力」だ。

 実は、こういった諸現象の根幹にあるのは同じ原因だ。それは「集団主義的なしがらみを嫌った孤立主義の蔓延」である。