
しかし、日本ゴルフ協会の競技委員は、尾崎の不正行為を認めてペナルティを課すのではなく、「日本と米国では芝の質が違うため、日本ツアーではそれはルール違反には当たらない」という意味不明の説明でノーマンの忠告を退けたのだ。
自然との闘いのスポーツであるゴルフ、その中核をなすのは「あるがままにプレイせよ」という精神だ。
結局、尾崎に破れたノーマンは、「ゴルフのルールは誰に対しても平等であり、世界共通でなければならない」という言葉を残して日本を去った。
試合で勝つことよりも、良きゴルファーでいることがずっと重要である世界中のゴルフ界にあって、日本だけが異質なようだ。尾崎が“殿堂入り”を果たせない理由のひとつにこの事件があることは世界のゴルフシーンではあまりに有名だ。
今回の全英オープンでは参加した日本勢7選手はすべて予選落ちした。
もしかしてそれは、進化したゴルフクラブに頼りすぎ、中村寅吉や青木功などかつての名手が持っていたようなテクニックを磨く必要がなくなった弊害かもしれない。現在の日本人ゴルファーにとって、常時秒速10メートルを超える海風の吹き付けるリンクスは難しすぎたのだろう。
だが、53歳のノーマンは、リンクスの強風に対して、パンチショット、ランニングアプローチなどの様々な技術を駆使しながら、首位争いを演じていた。120ヤードを約20年前の古いモデルの6番アイアンの低弾道で打つ彼の姿は、ゴルフの奥の深さを改めて見せ付けた。
ノーマンと日本人プロの結果は、技術面だけで生じた差ではないだろう。ゴルフの精神に対する敬意を欠いた”日本の王者”の作った「習慣」を改めない限り、日本人ゴルファーが英国のギャラリーや世界中のゴルフファンがノーマンに送ったような声援を得ることは決してないだろう。
ビジネスを優先させ、ゴルフの精神を蔑ろにし続けてきた日本のゴルフ界は変化を余儀なくされている。若い逸材(石川遼選手)を、不正の輩の下に預けるようなマネは許すべきではない。健全なスポーツの精神に立ち返って、新しい世代を育てる本当の努力を初めてほしい。
80年代、テレビの前でノーマンの姿を追い続けた筆者に、試合に勝つことよりも、ひとりのゴルファーとしていかにあるべきか、53歳のノーマンは改めてその精神を思い起こさせてくれた。