80~90年代の戦略のまま
突っ走ったエレクトロニクス産業

 もちろん、筆者は“頭”の問題である戦略ミスも、モノづくり産業衰退の主要な原因であると感じている。

 筆者は日本のエレクトロニクス産業が苦戦した理由について、東京大学の小川紘一特任教授と長年議論してきた。小川教授が分析するように、パソコンでのインテル、携帯電話でのクアルコム、DVDでのメディアテック、液晶テレビでのサムスンなど、新しいビジネスモデルを構築した海外企業によって日本企業が苦戦を強いられることになったことは間違いない。

 そして、ソフトウェアやネットワークが進化して、製品のアーキテクチャー(構造)がハードウェア主体の時代から大きく変化したことも事実だ。

 しかし、本質的に理解すべきことは、80年代から90年代にかけて日本が過去の戦略を見直さないまま突き進んでしまったことが、エレクトロニクス産業の苦戦の原因であるということだ。

 80年代から90年代前半において、世界の製造業の中で、日本企業は優等生であり脅威であった。米国とは数多くの通商摩擦を経験することになったし、アジアの奇跡と呼ばれ、アジア周辺諸国のロールモデルとなった。この時の日本の勝ちパターンは、欧米で誕生した商品や技術を日本流に改善し、より安くより高品質にして世界市場に提供するというものであった。

 しかし、90年代に入り日本の優位性は揺らぎ始める。日本の勝ちパターンを調べつくした欧米勢は、概ね二つの戦略を組み合わせた新しい展開を始める。

 一つは、日本に次ぐ製造能力を持つべく台頭してきた韓国、台湾、中国をパートナーとして活用する戦略であり、もう一つは、規制、基準・認証、標準などのルールや仕組みで参入障壁を構築する戦略である。いわば、台頭する東アジアの企業と組むことで、「欧米の品質+アジアのコスト競争力」という“いいとこどり”をすることで、日本企業の牙城を崩し始めたわけである。

 そして、アジア勢の新しい動きも大きな影響を与える。彼らは日本発の商品をアジア流に改善して世界市場に提供するという戦略を取り始めたのだ。DVDプレイヤー、液晶テレビ、携帯電話、太陽光パネルなど日本企業が生み出した技術や商品群を、より安くより大量に作り、それらを世界の各市場に求められる形で提供することで、日本企業を上回る圧倒的なシェアを取るようになった。

 これらの動きから浮かび上がることは、過去の成功に目を奪われ、台頭するアジアと「組む」という発想を戦略に取り込めないまま、引き続き「技術」「高品質」を看板にして、旧来型のビジネスモデルを展開し続けた日本企業の姿である。

 そして、欧米やアジアの成功の裏側には官民の連携もあった。彼らは、かつての日本の成功モデルを参考にし、国の制度や仕組みを変えていくことで、官民が連携して自国の強みを作っていった。その一方、日本は通商摩擦疲れからなのか、官と民の間の距離が開いて、輸出産業のために競争優位の状況を作るという取り組みが少なくなってしまった。