1988年、サンフランシスコ総合病院のランドルフ・バードは、CCU(心臓病患者を収容する集中治療室)に入室した393名の患者を、通常の治療に加えて院外から病気からの回復の祈りを受けるグループと、通常の治療のみを受けるグループとに分け、両グループを比較した結果を報告しました。

 それによると、祈りを受けた患者のグループは、祈りを受けなかった患者のグループに比べて明らかに症状が改善していたのです(Byrd RC:Positive therapeuticeffects of intercessory prayer in a coronary care unit population. Southern Medical Journal1988 Jul ; 81〈7〉:826-9.)。
 ちなみに、ハーバード大学、コロンビア大学、デューク大学といった名門校でも祈りに関する研究は盛んで、その研究事例は1200を超えるといいます。

喪失感を一人で抱え込まないこと

 親しい人を失うと同時に私たちの心に占めるのが、喪失感です。
 その人を失ったショック、悲しみ、その人ともう会えないという嘆き、さまざまな思いが混ぜこぜになり、気がつくと、いつまでも足踏みしている状態です。何か大きなものをなくしてしまった、それは二度と取り返すことができない、それが抜け落ちてしまった穴を埋める方法がわからない……。

 いつの時代も、親しい人の死というのは残された人々にストレスを与えがちです。
 残された人は、しばらくの間、その死を認めようとしません。認めてしまえば、大切なものが手の中からこぼれ落ちてしまいそうだからです。
 そのことが結果として、日常生活に支障をきたし始めます。
 仕事に身が入らない、会話での集中力がなくなる、家族関係がギクシャクする、友人・知人との意思疎通が疎遠になる……など、喪失感を抱える人はそれまでの日常を壊してしまいがちです。
 次第に、その喪失感からは「後悔」が生まれます。
 もっといい医療を受けさせればよかった、ケンカするんじゃなかった、会いにいく頻度を増やせばよかったと、その人の心は後悔に満たされ、それはやがて、「自分への恨み」や「周囲への無関心」といった状況を生み出します。

 だから私は、喪失感をすぐに手放して、などとは言いません。その悲しみを十分に感じ、寂しさを十分に感じてください。たくさん泣いてください。そして泣き疲れたその先に、お腹のすいた自分がいることに気がつきます。そうしたら、何でもいいから食事をしましょう。
 お腹がすくのは、私たちが生きている証拠です。頭は混乱していても、体は実に正直です。それが生きている人間なのです。

 悲しみを癒す最大の薬、それは「時間」です。
 私も身内を失った際、表現しがたい喪失感がありました。それでも時が経てば、次第に日常へと戻っていくものです。生きている限り、明日の生活があるからです。
 そんな喪失感を、決して一人で抱え込まないでください。悶々と悩めば悩むほど暗い淵しか見えなくなります。自分を責めすぎて心が折れる時もあります。
 可能なら、話しやすい人に話を聞いてもらう、特にしゃべりたくなければ、せめて少しの間、あなたの隣にいてくれる人を探してください。気持ちがとても楽になります。