倫理を重視するデザイン思考

「ザ・チェア(椅子のなかの椅子)」の愛称で知られる「ラウンド・チェア(丸い椅子)」をデザインした、デンマーク人のハンス・J・ウェグナーについて、トーマスさんがアメリカのドキュメンタリーで彼のインタビューを見たときのことを教えてくれました。

「1949年にデザインされた、「ラウンド・チェア」は1960年のジョン・F・ケネディ、リチャードニクソンの大統領選のテレビ討論で、彼らがその椅子に座っていたことで注目を浴びました。その後アメリカの企業がきて、何かデザインしてくれないか、大量生産するから、とウェグナーに言ったそうです。

 するとウェグナーは、「いや、デンマークのデザインはそのクラフトマンシップで創らなければいけない」と言って断ったそうです。インタビューではウェグナーにジャーナリストが、「(大量生産すれば)お金儲けできたのに」と言います。

 ウェグナーは倫理のためにお金を犠牲にしたのです。彼にとってはお金儲けをするよりも、家具が正しい作り方で作られる方がもっと重要だったのです」

 フォークホイスコーレのムーブメントが北欧の問題解決思考に影響を与えたということですが、それとデンマークの家具のデザインは具体的にどう関係しているのですか?

「フォークホイスコーレのムーブメントは、資格を得るために教育するのではなく、社会をより深く理解することが基盤にありました。自分達のため、コミュティのために外にでて創造する。

 人々がデザインの価値がどこにあるものかを考えることに貢献しました。お金のことは気にしない、質の高さを求めるという、ウェグナーの精神もこれらのムーブメントと合致しているのです」

 前回の記事「人生を自分でコントロールする北欧の原点教育とは?」で書きましたがフォルケホイスコーレは、個人が生きる意味や人生の原点を理解する場所です。そこで繰り広げられる対話が、自分とは異なる人の理解を促しクリエイティビティの可能性を広げます。

 トーマスさんにデザイン・ドリブン・イノベーションにおいて最も重要なことは何ですかと尋ねると、ユーザーへの「共感」という答えが返ってきます。デンマークで美しく機能的なデザインが生まれた理由は、異質なものへの本質的な理解と意思を貫くことができる能力に社会が価値を置いていたからでしょう。

 ところで、ここまで読まれて不思議に思う方がいるかもしれません。これだけ優れたデザインが生まれる環境があるのにも関わらず、なぜユーザー・ドリブン・イノベーションがデンマークで広がった時期があったのかということです。そのヒントは、トーマスさんが時々会話するという、世界的に有名なデザインファームのIDEOのスタッフとの会話にあるのではないかと思います。

 彼らはトーマスさんにこう言うそうです。

「デンマーク人でIDEOにデザイン思考を学びにくる人が多い。どうしてデザイン思考を学ぶのにIDEOにくるのだろう、私たちはデンマーク人から学んだのに」

 世代に渡り築かれたクラフトマンシップ、その裏にある思考の価値を再考し維持することが、世界のデザイン業界でデンマークの存在感を保つ上で重要でしょう。