山口 デザインというのは今、ビジネス界でももっとも注目されている言葉のひとつです。デザインスクールがビジネススクールより人気を集める時代になっていますし。僕自身、お金とアートという、数字によって完璧に言語化されたものと言語化できないものの世界をうまくつなぐ、とてもいい言葉だなと思います。

平野 でも、デザイナーは嫌でしょうね。デザインのことを何にも分かってないくせに、猫も杓子もチャラチャラしたものがデザインだと思いやがって、と(笑)。でも本当のデザインは、人間の認知的な部分にかなり深く関わっているはずなんですよね。

文学でもインターフェイスが重要に
電子メディア普及のトリガーは?

平野 僕が15年くらい小説を書いてきてものすごく感じるのが、とにかく今はインターフェイスのデザインが大切になっている、ということ。なぜなら、それだけ我々が接する物が複雑化しているからでしょう。何に対しても、「使いにくいのはインターフェイスのデザインのせいだ」という感覚がものすごく強いですよね。たとえば銀行のATMが使いにくかったら、「絶対に自分のせいじゃない、ATMのつくりが悪い」と思うんです、今は。

 その感覚は、本を読むときにも持ち込まれてしまっている。本というのはもちろん分かりやすさだけでなく、いろいろな評価の仕方があるはずですが、本の売れ行きがある域を超えると「読みやすさ」の議論が圧倒的に増えてくる。それにどこまで付き合うかは考えるべき問題ですが、今後もその傾向は変わらないでしょうね。

山口 インターフェイスの話で言うと、1990年代にミリオンヒットを連発したアーティスト、ZARDのCDがいい例ですよね。音楽のメディアがレコードやテープからCDに移ったとき、ZARDは曲の最初に、「揺れる想い〜♪」といきなりサビを持ってくるスタイルをすぐに採用しました。それはCDが従来のメディアと違い、一瞬で頭出しできたからこそ活きた戦略で、大ヒットにつながりました。メディアやインターフェイスに合わせてコンテンツ自身のあり方を変えたことが成功の要因だったと言われています。

平野 フランスの哲学者レジス・ドブレも、「メディオロジー」という概念について語る中で、「昔はよい内容の本は自ずと残ると単純に言ったけれど、実際にはそうではなく、それが広がっていく上ではメディアを含めた物理的な要素が大きかった」と言っていますね。当たり前だけど、僕はゼロ年代に彼の本を読んでいて、かなり頭が整理されました。