マイノリティだったからこそ見えたこと

巻き込まれても、利用されてはいけない<br />――プロジェクトに貢献し、自分が成長するために大切なこと<br />【経営戦略ストラテジスト 坂之上洋子<br />×ビズリーチ代表 南壮一郎】(後編)南壮一郎(みなみ・そういちろう)
1999年、モルガン・スタンレー証券に入社。2004年、幼少期より興味があったスポーツビジネスに携わるべく、楽天イーグルスの創業メンバーとなり、初年度から黒字化成功に貢献。2007年、株式会社ビズリーチを設立。エグゼクティブ向けの転職市場に特化した、日本初の個人課金型転職サイト「ビズリーチ」を運営。2010年、プレミアム・アウトレットをイメージしたECサイト「LUXA(ルクサ)」を開始。2012年、ビズリーチのアジア版「RegionUP(リージョンアップ)」をオープン、2013年2月、IT・Webスペシャリストのための仕事探しサイト「codebreak;(コードブレイク)」ベータ版をオープン。

 僕は、海外に住んでいたことが自分の考え方のルーツになっていると感じています。海外に住むことによって、いろいろな価値観があってもいいんだということを知りました。

 洋子さんは大学生のときに初めて海外に行ったんですよね。カルチャーショックはありましたか。

坂之上 すごくありました。

 そこはどう乗り越えたんですか。

坂之上 シカゴの建築会社、それも全米のトップ100に入っているような会社に就職したので、一番下のポジションから上がっていくのが大変だった。その際、日本人であるというバックグラウンドはまったく生かせないわけですよ。英語は下手だし、発音も悪いし、ハンディキャップばかり。その中で、自分はどうやって生きていくのか、と。

 私が気づいたのは、人の動きを見ることの大切さでした。この会社の中で、だれが何をしているのか。どういう命令系統で、だれがディシジョンを下しているのか。ポジションは高くないのに決定権を持っている人はだれか。それは今、プロジェクトを動かしていく上でも役立っていると思います。

 マイノリティだったからこそ、冷静に見ることができたんですね。

 実は僕も、常にマイノリティだったんです。カナダに住んでいたときはウチのファミリーが学年で唯一のアジア人でしたし、中学校で日本に帰ってきたときは帰国子女というマイノリティだった。インターネットの業界へ入ったときも、インターネットのことを知りませんでした。でも、マイノリティだったからこそ努力するし、マイノリティだったからこそ自分から手を差し延べにいく。僕は、仲間は向こうからやってくるものではないと考えていますが、それは海外での原体験の影響が強いような気がします。

坂之上 マイノリティの気持ちを知っているから、やさしくなれるってこともあるんですよ 私はツイッターで女の子に対してしゃべる時に、実は、実在の一人の人に対して話しかけているんです。ある友達から相談を受けたら、その子に向かって「こうだと思うよ」ということをツイートする。

 なぜ友だちに直接メールをせずにツイッターでしゃべるのかというと、たぶんどこかに友人の悩みとすごく似ている人がいて、その人も一緒に救われるかもしれないということに気がついたから。自分がその立場になっていたことがあるから、そんな時期の気持ちが痛いほどわかるんです。

 自分が辛かった時に教えてもらいたかったことをつぶやいてる。
 でも、もし私が今までにそんなみじめな気持ちになったことがなければ、そんなわざわざめんどくさいことしないと思います。