米国では、2008年9月14日を、大恐慌の幕開けとなった1929年10月24日の「ブラック・サーズデー(暗黒の木曜日)」になぞらえて、「ブラック・サンデー」(暗黒の日曜日)と呼び始めた。

 深刻なのは、そのブラック・サンデーに端を発した金融市場の動揺が一向に収まる気配をみせていないことだ。15日に500ドルを超す急落を記録したニューヨーク株式市場は、17日も下げ幅が450ドルに迫る下落を繰り返した。

 そして、さらに深刻なのは、動揺の影響が米金融市場という狭い範囲にとどまらず、日本を含む世界経済に及ぶ懸念が強いことである。

 ブラック・サンデーの動揺はいったいなぜ、収まらないのだろうか。さらに、この危機は、どのようなメカニズムで引き起こされ、誰が責めを負うべき問題なのだろうか。

ブラック・サンデーは
金融恐慌の始まりを意味するか

 「狂気の一日。ウォール街が震撼した」(ニューヨーク・タイムズ)
 「ウォール街の破綻」(ワシントン・ポスト)

 たった1日で、全米4位の証券会社リーマン・ブラザーズが破産し、同3位で最大のリテール部門を持つメリル・リンチ証券が全米2位の商業銀行バンク・オブ・アメリカへの身売りを決め、そして米国最大の保険会社AIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)が公的な緊急融資を要請した2008年9月14日。米国の主要メディアは、この日をブラック・サンデーと名付け、その動揺ぶりを驚きを持って伝えた。

 日本のマスメディアではまだ充分に事の重大さが報じられていないが、この日を、あの第2次世界大戦を呼んだブラック・サーズデーになぞらえて、ブラック・サンデーと呼ぶことには、特別な意味が込められている。それは、この日が、それほど重要な歴史のターニングポイントであり、深刻な金融恐慌の始まりであるという意味である。

 簡単におさらいしておくと、9月14日は、米政府・金融当局幹部が欧米の主要金融機関首脳と延々と繰り広げた異例の官民合同会議の3日目だった。会議の場所は、ニューヨークのウォール街の一角にあるニューヨーク連銀で、集まったのは、政府・金融当局側から、ポールソン財務長官、ガイトナー・ニューヨーク連銀総裁、コックス証券取引委員会(SEC)委員長ら。そして、民間側から、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、シティグループ、バンク・オブ・アメリカといった主要金融機関のトップらがずらりと顔を揃えていたという。