
要はそういうことだ。歴史は意外となし崩しだ。だからこそ現在進行形の時点において、僕たちは散漫であってはならない。しっかりと凝視せねばならない。まるで既定事項であるかのような前提をもし持ち出されたのなら、その根拠をしっかりと確かめねばならない。
でも人は不安や恐怖に弱い。ベトナム戦争もその駆動力の根底にあったのは、共産主義という政治体制への恐怖だった。結局のところ、ドミノ理論など机上の空論だった。戦争や虐殺の背景を、政府中枢の謀略や、軍産複合体の権益や、兵器産業の利益重視の企業姿勢などに求める人がたまにいる。その影響もまったくないとは言わないけれど、せいぜいが潤滑油の役割だと僕は思う。本当の駆動力は違う。それは不安と恐怖だ。
北ベトナムへの攻撃にアメリカが踏み切った背景の1つとして、マクナマラは、当時の米政府中枢部に東アジアの安全保障についての専門家が不在だったことをあげている。わからないこそ不安は高まる。その不安が共産主義への恐怖と結びつき、危機管理意識がこれ以上ないほどに高揚し、矢も盾もたまらなくなったアメリカは攻撃を仕掛けていた。その意味では、自由と民主主義を守るための正当防衛のつもりなのだ。
特別警戒実施中のフレーズが街に氾濫するようになった時期は、おそらくは1999年前後と僕は推察する。監視カメラが増え始めた頃でもある。地下鉄サリン事件によって喚起された他者に対する不安と恐怖が、危機管理意識へと高揚し、法やシステムを少しずつ変え始めた時期だ。それが最も典型的に現れたのは1999年の小渕内閣時代。有事ガイドラインに国旗国歌法、通信傍受法に住民基本台帳法などが国会で次々に可決され、触法少年の処罰を規定する少年法や触法精神障害者の扱いをめぐる精神保健福祉法なども変わり、厳罰化がより促進された時代だった。いや過去形ではない。この傾向はその後も進んでいる。より一層の加速をつけて。