当コラムへの読者からの反響を取り上げると、またそれに対する様々な反応が返ってくる。前回前々回に取り上げた「お金がなくなったら死を見据える40代男性」に対する反響は、また大きいものだった。こうしたスタイルによる情報発信の試みは、誰ともつながっていない引きこもり当事者たちから、当連載にアプローチして頂けるきっかけになる一方で、エンドレスに続いていて整理できない状況になってきた。

 そこで、今回はひとまず反響の紹介は休ませて頂き、1ヵ月ほど前に取材した東日本大震災の被災地に住む当事者の近況を報告したい。

15年以上「完全引きこもり」状態から
大津波警報とともに外へ出て…

 東日本大震災当時、引きこもりだった当事者のうち、外に出てきた人たちは、2年余り経って、どうしているのだろうか。

 市街地の沿岸部に建つ集合住宅に住んでいた30歳代後半の男性Aさんは、震災が来るまでの間、15年以上にわたって引きこもっていた。

 これまで述べてきたように、社会や人とはつながりがないものの、コンビニや図書館、カフェなどに「外出できる引きこもり」の人たちもいる。しかし、Aさんは、家から出ることができない、いわば「完全引きこもり」タイプだ。

 両親は、Aさんの部屋に入ることができなかった。食事は、母親が部屋のドアの前に運ぶ。買ってきてほしいものがあると、ドア越しにメモが渡される。

 家庭の中では、親は奴隷のように、Aさんの言いなりになっていた。

 こうして長年変わることのなかった家族関係に変化を引き起こしたのは、皮肉なことに、震災だった。

 地震が起きたとき、たまたま家に両親は不在だった。

 大津波警報が発表されると、街にはけたたましいサイレンとともに、高台への避難を呼びかける防災行政無線が繰り返し流されていた。

 それでも、家から出ることができずに津波にのまれていった引きこもり当事者たちの報告は、何件も聞いている。そのうちの生還した1人は、「津波よりも、外の避難所などでの人間関係のほうが怖かった」と、後に述壊している。

 しかし、Aさんは、自宅からおそるおそる外に出た。