「超」がつくほどロジカルなマーケティング

「こんなこと本に書いて大丈夫なんですか?」<br />『あたらしい働き方』本田直之氏×『ディズニー こころをつかむ9つの秘密』渡邊喜一郎氏特別対談!【前編】本田 開業初年度に993万人、2年目を1000万人を超える集客を実現するわけですが、実はディズニーランドの認知度は2、3割しかなかったそうですね。

渡邊 そうなんです。1000万人というと、考えてみれば東京の人口に匹敵する数字ですから、とんでもない人数なんですが、当てずっぽうな数字ではなく、ちゃんとロジックがあったんです。巨額の建設費がかかっていて、それを25年のローンの中で返済していく必要があった。そこから算出されているんですね。
 想定していた、食事とお土産も加えた客単価1万円もそのロジックから導き出されていますし、3700円という当初の入場料金(ビッグ10)もちゃんとロジックがあったんです。

本田 でも、普通はロジック通りには行かないですよね。他の遊園地では、まったく計算通りには行っていないんじゃないでしょうか。

渡邊 そこはマーケティングとして、かなり精度にこだわりましたね。そうでないと、アメリカのディズニーは許してくれないところもあって。

 入場料でいえば、アメリカのディズニーランドでは、滞在時間が5時間から7時間というデータがあったんです。日本で5時間から7時間滞在する家族のレジャーって何かな、ということを一生懸命考えていたときに、頭に浮かんだのが、ユーミンの歌だったんです(笑)。当時、大ブームだったスキー場、しかも首都圏の人たちのトップレベルの人気を誇っていた苗場プリンスホテルのスキー場の1日リフト券が3600円だったんです。満足度はそれより高いので、そこに100円足してビッグ10が3700円となったんです。

 私はアメリカのディズニーランドを知っていたので、いいものができたら絶対に来客はあるという自信がありました。逆に、オープンしたら「こんないいところを、おかしな人間には見せたくない。むしろ入らないでくれ」と思っていたくらいでしたから。

本田 記憶が正しければ、開業した年に行っているんです。学校の行事で。東京ディズニーランドは、日本の遊園地やアトラクション、イベントなどの常識を全部覆してしまいましたよね。旅行業界に対してのアプローチもそうだし、中に弁当を持ち込んではいけない、なんていうのもそうですし。あれを20数年前に実現するのは、本当に大変だったんじゃないですか。

渡邊 そうですね。実際、本にも書きましたが、業界の常識を覆すようなことをたくさんやりましたから、文句の嵐、クレームの嵐でしたね。旅行業界もメディアも、従来のやり方とは違うやり方に対しては猛反発があったんです。
 でも、すごくいいものができたというのが、従業員みんなにありましたから。役員からは「そんなに強気でいいのか」という声も上がっていたみたいでしたが。

本田 みんながディズニーの世界の中の一人になっていたんでしょうね。だから、働いている人も信じることができた。でも、アメリカ以外では、東京が初めてだったんですね。

渡邊 そうなんです。もともとあの土地は、埋め立て地なんです。江戸川が製紙会社の水質汚染で汚れてしまって、河口付近の漁業が壊滅してしまった。それで、大規模に埋め立てをすることになって。A地区、B地区、C地区と分けて、ABCを埋め立てるとC地区が埋め立て代金としてもらえる、というのが千葉県の提案だった。それに乗ったのが、オリエンタルランドという会社だったんです。

 ただ、ひとつ条件がついていて、公共のものを作るように、と。それで遊園地計画が持ち上がって、ディズニーランドを誘致したわけです。もし、遊園地がうまくいかなかったら、そのときは住宅地にできる、ということになっていたようで、そういう話も「そうはさせまい」と従業員を盛り上げたといえると思います。