米国の大手証券の一角であるリーマン・ブラザーズが、9月15日に連邦破産法11条の適用を申請した。

 本稿執筆時点では同社の今後の行方や影響の広がりはまだわかっていないが、1997年自主廃業を発表した山一證券のケースと比較してみたい。会社としてのカラーや業務内容はかなり異なるが、リーマンは規模的に米国第4位の証券会社だし、山一も当時日本では4番手の証券会社だった。

 破綻に先立って株価が徹底的に下がったことは両社共通だった。自主廃業発表までの1週間、山一の株式は大きな出来高を伴って乱高下し、2ケタ株価の場面もあった後に、週末の株価は確か108円だった。

 後の報道では、この週の月曜日の段階で当時の大蔵省に、いわゆる「飛ばし」を含む不正の事実と財務状態を報告したとのことだったから、その後も1週間、山一の株を取引停止にせずに一般投資家にも取引させていた証券局の判断には問題を感じる。

 監督当局の対応は、リーマンと山一ではかなり異なる。

 リーマンの場合は結局、公的資金を使った救済には至らなかったが、監督当局は、金融大手各社の幹部をニューヨーク連銀に集めて、民間他社による丸ごと買収の可能性、さらにはこれが無理だとなると、民間金融機関がリーマンの不良資産を共同で買い取る可能性などを、当局の仲介で検討させている。

 たぶん、この場を通じて、金融他社の状況とリーマン破綻の影響を見極めたのだろうが、ある意味では親切な対応だった。

 リーマンの場合、当時の山一と異なるのは、金融システムの中核を担うような銀行も相手として、大きなデリバティブ取引のポジションを持っていたことだ。