例えばアメリカは上下両院の3分の2以上の賛成で改憲を発議して、さらに全50州のうち4分の3以上の州議会で承認される必要がある。しかも修正された場合にも必ず元の文は条文に残すことが決められている。ドイツでは連邦議会および連邦参議院それぞれ3分の2以上の賛成が必要とされているし、フランスは両院の過半数に加え、両院合同会議の5分の3以上の承認が必要とされている。軟性憲法の代表国はイギリスとよく言われるが、イギリスの憲法は他国のような成文形式ではなく、当時の国王(為政者)の権力を契約や法で縛って制限することを宣言したマグナカルタも含めての多くの条文が、その機能を担っている。

 ドイツで頻繁に改憲が行われている理由のひとつは、憲法が通常の法律のように、細かい点まで条文で規定しているからだ(ドイツの憲法は正しくは基本法と呼称されていて、日本の4倍のボリュームがある)。しかもドイツでは東西ドイツの統合があったし、ヨーロッパで全域では欧州連合の統一があった。国のありかたが変わったのだから、憲法改正が行われて当然だ(ただしドイツやフランスでも、国家の基本原理に関する改正は安易に行われないことが条文で決められている)。

 ちなみにドイツでは、改憲の際には国民投票が行われない。その根拠と経緯については諸説あるようだけど、かつて世界で最も民主的な憲法と言われたワイマール憲法を掲げながら結局はナチスに熱狂して投票で第一党にしてしまった自分たちへの反省が、その底流に流れているのではないだろうか(知り合いのドイツ人からは、確かにその要素もあるよと同意された)。

 つまり集団になったときの自分たちを信用していないのだ。

 もしそうだとしたら、彼らの自分たちへの絶望は凄い。そしてリアルすぎるほどに正しい。人は集団となったときに間違える。もちろん個人も間違えるけれど、集団の過ちは取り返しがつかないほどにダメージが大きい。だからこそ1968年に行われた基本法改正でドイツは、独裁制や専制政治的な動きが権力サイドにあると判断されたときは、すべてのドイツ国民にそれに抵抗する権利を保障する「抵抗権」を、第20条に加えている。

自民党が目指す憲法改正で何が変わるのか

 かつて改憲論者の理論的支柱の一人だった小林節慶応大教授は、改憲をめぐる現状の動きについて、「立憲主義を無視した邪道だ」と断じている。

 憲法とは、主権者・国民大衆が権力者を縛る手段だ。だから安易に改正できないようになっている。改憲マニアの政治家たちが憲法から自由になろうとして改正要件を緩くしようとするのは愚かで危険なことだ。
                    (東京新聞2013年4月13日)

 現状において小林教授は決して護憲派ではない。9条は改正されるべきと主張している。でも現状の動きは容認できないとも口にする。