アンドリュー・グローブ アンディ・グローブ(1936~)はナチ占領下のハンガリーで子ども時代をすごし、かろうじて生き延びた。1957年にオーストリア経由でアメリカに脱出する。ニューヨークとカリフォルニアで学んだあと、フェアチャイルド・セミコンダクタ社に入社した。1968年、仲間のボブ・ノイスそしてゴードン・ムーアと一緒にインテルを設立した。

 1980年代、グローブはインテル全社を挙げてマイクロプロセッサの製造に専念した。1987年にCEOに就任。1994年、主要製品ペンティアム・プロセッサに欠陥が見つかり、危機に直面する。
 
 グローブはチップを交換するという決断を下し、インテルの名声をさらに高めた。1998年5月にCEOを辞任するまで、CEOの任期中、グローブは同社の株式時価総額を24倍以上に押し上げた。

生い立ち

 病気、差別、貧困。1936年9月2日、アンドラス・グロフとして第2次世界大戦前のハンガリーで生まれたアンディ・グローブは、子ども時代にこの3つに苦しめられた。

 4歳のときには猩紅熱にかかり、それがもとで耳がよく聞こえなくなった。

 次にはもっと不吉な脅威がその影を落とす。ナチがヨーロッパを席巻し、ユダヤ人のグロフ一家は命の危険を感じるようになったのだ。グロフと母親は身分を偽り、友人にかくまってもらった。若いグロフはアンドラス・マルセビッチと名前を変えた。