ネットで純粋培養される正しさの“ような”もの

開沼 『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』でも書かれている通り、日々、様々なイシューについてTwitter等で活発な議論がされているものの、それは果たして社会を具体的に動かしていくうえで効果的な議論なのか疑問に思うこともあります。どれだけの人が集まり、過剰なまでの言葉をもって騒ぎ合い、派手に盛り上がっているように見えても、新しいものを生産しているわけではないという可能性もある。

 この構造はもはや壊れないどころか、より進んでいくと思うんですよね。表面的に盛り上がれば盛り上がるほど、議論が閉じていき、全体から見たらごく少数の同質の人間同士で盛り上がり、自分たちは多数派だと錯覚しながら正しさの“ような”ものが純粋培養されていく。他方で、少しでも立場が違う人をボコボコにして溜飲を下げると。

 ただ、そうしたメディア上でのごく少数の人々によるコミュニティを超えて、現実の社会にその動きが反映されているかというと、そうでもありません。その裏では、権力的なものが、淡々と、隅々まで広がっていきます。

 そのような構造を壊すために必要なこととして、現時点での僕の回答は、磯部さんのように、中間集団を再構築する方向に向けて、政治的なリソース、市場的なリソースを動かしていくしかない、ということです。磯部さんには何か策はありますか?

磯部 策というか、すでに様々な場所で新しい形の社会運動が立ち上がりつつあるように思います。例えば、金曜官邸前抗議。開沼さんは評価していないでしょうが。

開沼 そう見えますか(笑)。

磯部 野間易通さんの『金曜官邸前抗議』(河出書房新社)を読むと、主催団体の首都圏反原発連合は、反原発運動から旧来的な左派をいかに切り離すかを真剣に考えているのがわかります。そのために、シングルイシューを掲げる。また、野間さんは、金曜官邸前抗議もそうですし、「レイシストをしばき隊」もそうですが、長期的で広範な目標よりも、目の前で起っていることをいかに食い止めるかについて考えているんじゃないかと思います。

 原発が再稼働しようとしているのに、ヘイトスピーチがされているのに、「それらを生み出す社会的背景についても考えなければいけない」「我々もその責任の一端を負っている」みたいな、本質ではあるのでしょうが、まどろっこしいことだけを言っていると、解決は延々と先延ばしにされてしまう。風営法の問題も同様で、「表現の自由を守れ!」という真っ当なお題目を掲げるだけでは、摘発は止まらない。もちろん、長期的で広範な目標も大切ではあるものの、いままでの左派の運動ではそれを大切にするが故に観念的になり過ぎていた。

開沼 なるほど。

磯部 ただし、気をつけなければいけないのは、風営法もシングルイシューでやるべきなので、反原発運動や反レイシズム運動と決して一緒にしてはいけないということです。それをやってしまうと、まさに、旧来的な左派と一緒になってしまうわけですが、楽観的なことを言えば、そのように、新しい社会運動が起りつつあるのかなと。開沼さんはどう思われますか?

開沼 その点について言えば、新しい運動かどうかという時間軸にこだわらず、古い社会運動にも学ぶべきところはあり、ダメなところは潰していくべきだと思います。むしろ重要なのは、糾弾・吊し上げ型の「政治的な社会運動」より、そこにあるニーズの拾い上げ・コーディネート型の「市場的な社会運動」を試し、育てていくべきだと考えています。

 具体的には、近年、良質なNPOや社会起業家の取り組みがメディアで取り上げられることも増えてきましたが、彼らのような動きこそが「運動」志向の人たちの前面に出てきて、変える必要があるものを変えるべきだと思います。

 同じように、例えば、静かなクラブを経営したほうが儲かるビジネスモデルや、新住民も喜んでしまうようなクラブをつくるといった方向に力点を置くべきでしょう。政治的な変革を叫ぶ以上に、マーケットにおけるイノベーションを求めていくほうが生産的です。カネも知力も、モデルを具体化してゴーイング・コンサーンで回し続ける覚悟も必要だと思いますが。