すべてのデスクと、すべての家庭にコンピューターを。
(A computer on every desktop and in every home.)

ビル・ゲイツ

 算数と理科が得意だった少年時代のビル・ゲイツが初めてコンピューターに触れたのは、シアトルの学校、レイクサイド・スクールに入学したときでした。高校生になる頃には、盟友のポール・アレンとともにソフトウェアを開発して、企業や行政組織に納品するまでになります。

 そして1972年、ある雑誌に、パソコン時代へとつながる超小型演算処理装置(マイクロプロセッサー)の記事が載っているのを発見。これで世の中が根本的に変わる、そう信じたふたりは、1975年マイクロソフトの創業に至るのです。

 コンピューターが好きでたまらないふたりが起こした会社は、やがてウィンドウズというOSでブームを巻き起こすと、オフィスというアプリケーションで、市場の支配を決定づけます。その独占禁止法すれすれを走るスタイルと、競争相手を徹底的に叩くビジネス手法は、多くの批判にさらされました。正義なるアップルと対比して、悪の帝国と捉えられることも少なくありませんでした。

 パーソナル・コンピューターという概念を生み出したアラン・ケイ。そのビジョンを美しく具現化したスティーブ・ジョブズ。ふたりがビジョナリーと呼ばれ、イノベーターと讃えられるのと比較すると、ビル・ゲイツは、成功したビジネスマンという捉え方をされることが多いように思います。

 ビル・ゲイツの果たした役割とは何だったのでしょうか。その答えは、彼の言葉の中にあります。「すべてのデスクと、すべての家庭にコンピューターを」。それは、1975年の創業時にゲイツが掲げたビジョナリーワードでした。

 スティーブ・ジョブズが理想のパーソナル・コンピューターを追い求めたのに対し、ビル・ゲイツはパーソナル・コンピューターが世界の隅々にまで行き渡っている風景を追い求めたのです。

 彼が生み出したBASICは、初心者のプログラミングを可能にしました。パソコンが世界中に行き渡る未来を目指してつくられたウィンドウズやオフィス(office)といったパッケージは、一部の玄人ユーザーからは批判もされましたが、コンピューターを使うハードルを下げて、コンピューターのユーザー人口を拡大したことは紛れもない事実と言えるでしょう。

 マイクロソフトは、市場のニーズをうまく吸い上げ、その時点でできる最も実用的なOSとソフトを提供し続けました。特にウィンドウズ95は、MS‐DOSとウィンドウズを統合し、使い勝手の良さを大幅に向上させます。

 日本でも発売に際して販売店の前に行列ができ、お祭り騒ぎになったのを覚えている方も多いでしょう。続いてリリースされたウィンドウズ98は、全世界で2500万本以上を売り上げ、インターネット時代をリードしていきます。

 自動車業界のフォードは自動車そのものを発明したわけではありません。しかし、「自動車を民主化する」というビジョナリーワードを掲げて、自動車の価格を下げ、みんなのものにすることに成功しました。

 またパナソニックの創業者、松下幸之助氏は「水道哲学」を掲げ、家電がまだ高価で一部の人のものだった時代に、水道の水のように潤沢で誰もが手にできるものにしなければならない、と説きました。自動車のフォードや家電のパナソニックが果たした「行き渡らせる」という役割をパソコンで担ったのが、マイクロソフトだったと言えるでしょう。

 ビル・ゲイツ本人は2006年に引退を発表。創業時のビジョンに関して「その目標が完全に達成したとは言えないけれど、僕らは長い道のりを進んできた」と発言しています。

 翌年の2007年。アップルからiPhoneが発売されるなど、手のひらにすべての情報端末が握られている時代を目指しての競争が本格的に始まりました。机の上から、手の上へ。ビル・ゲイツの引退は、ビジョンの世代交代だったのかもしれません。