4月15日に発生したボストンマラソン爆弾事件の発生から3ヵ月になろうとしていた6月30日から2週間、筆者はボストンで「爆弾事件のその後」を取材した。報道などでは落ち着きを取り戻したようにも見えるボストンで、実際に市民が何を考えてテロ後の生活を送っているのか。そして、ボストンマラソン以降では最大の野外イベントとなる7月4日(独立記念日)に、チャールズ川で行われる野外コンサートと花火の打ち上げが今年はどのように行われるのか。「いまのボストン」をレポートする。

厳戒態勢が敷かれた
7月4日のボストン

現地取材ルポ・爆弾事件後のボストンを歩く<br />テロに脅えるボストンはアメリカの象徴か?ボイルストン通りのゴールライン。通常、大会終了後に消されるが、今年はゴールラインが残されている Photo by Hirofumi Nakano

 事件について簡単に説明しておく。

 4月15日の午後にボストンの中心部コープリー広場近くのボイルストン通りで2度の爆発が発生した。この日は100年以上の歴史を持つボストンマラソンの開催日で、事件現場近くにマラソンのゴールが設置されていたため、事件発生当時は多くの観衆がゴールするランナーに声援を送っていた。8歳の子どもや留学生を含む3人が死亡。負傷者の数は180人を超えた。周辺に高級ホテルや有名ブランド店が並ぶ、ボストンの表玄関ともいえるエリアで発生した突然の爆弾テロ事件に周囲は騒然となった。犯行には圧力鍋を用いた手製の爆弾が使用された。

 地元警察やFBIはすぐに捜査を開始。FBIは4月18日に容疑者とされる2人の男性の写真を公開した。その日の夜にMIT(マサチューセッツ工科大学)のキャンパス内で警察官が射殺される事件が発生し、その数時間後にはボストン郊外のウォータータウンで銃撃事件の容疑者と追跡する警察との間で激しい銃撃戦が展開された。銃撃戦で容疑者の1人は死亡し、もう1人は現場から逃走したが、付近の公共交通機関を全て運休させ、ボストン周辺の住民に事実上の外出禁止令を出して行われた異例の捜査によって、もう1人の容疑者は事件発生から4日後の19日に逮捕されている。

 警察発表によると、2人はダゲスタン共和国からアメリカに移住したチェチェン人のツァルナエフ兄弟で、兄のタメルランと弟のジョハールはボストンの隣町ケンブリッジで暮らしていた。