時代はDIYからDIWOへ
ものを読むリテラシーは、「まち」をも自分ごと化する

 話は少し変わるが、今年で9回目となるファブラボ代表者会議に、筆者は過去4回参加したことがある。ファブラボ会議はおおむね、途上国(=成長国)と先進国(=成熟国)で交互に開催されてきた。成長国といえば、インドで開催された第5回、ペルーで開催された第7回にも忘れられない思い出が山ほどあるのだが(インドのファブラボの様子については、瀬戸義章氏の連載を参照)、今回の日本開催にあたって参考にしたのは、やはり同じく先進国で開催された第6回のオランダ・アムステルダムと第8回のニュージーランド・ウェリントンだった。

ウェブ社会からファブ社会へ<br />――21世紀の発明家を日本から生むための<br />「場」としてのファブラボFabLab Amsterdam。15世紀からある古城のなかにある
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 アムステルダム、ウェリントン、そして今回の開催地となる横浜。この3つの都市には共通点がある。それは「文化芸術創造都市=クリエイティブ・シティ」を名乗っていることだ。こうした都市には、デザイナー、アーティスト、研究者、エンジニア、ハッカー、発明家、建築家、社会活動家といった、自由と創造を好む実験好きな人々(クリエイティブ・クラスとも呼ばれる)が住みつく。そして、内発性を原動力として、まちを、市民自身の手で内側から豊かで楽しいものにしていこうとするアクションを起こすのだ。

 このようなアクションを起こす人は、ひとりでも活動できるフリーランスである場合が多いが、さらにファブラボのような場所に出かけて、違う専門の人々と互いに刺激を与えあうことを好むという一面も持っている。異質なスキルをぶつけ合うことで、より高いイノベーションを生み出すことに挑戦し始めるのである。

 これこそが、近年「DIY(Do It Yourself)からDIWO(Do It With Others)へ」と呼ばれているムーブメントの内実である。この空気は、イギリスのマンチェスターにあるファブラボ、米国のサウスブロンクスにあるファブラボでも変わらない(そして、なぜか、ファブラボはどの国でも周縁から生まれる。ロンドンやマンハッタン中心部にはない)。いつも、デザイナーやアーティスト、ハッカーやエンジニアが交流している。仕事のような遊びのような、区別が曖昧な活動をしている。そして、自らのつくったものを「商品(製品)」として流通させるだけでなく、「まちにインストールする」プロジェクトも起こし始めるのである。

 これらを、評論家然とした第三者が客観的に「経済的なのか社会的なのか」「ビジネスなのか趣味なのか」と分析・分類することにあまり意味はない。本人にとって「自分ごと」になっていれば、それは何よりも「やりたいからやっている」という自己実現の一プロセスに他ならないからである。ひとつのプロジェクトの中に、社会性も経済性も、遊びも仕事も、学びも喜びも、すべてが混然一体となって混ざり合っている