8月下旬から10日間かけて甘粛省の省都である蘭州市とシルクロードを走ってきた。走ってきたという表現を使った理由は、蘭州から敦煌までの移動に車を使っていたことにある。回り道をしながら移動するので、総走行距離が2000キロ近くに及んだ。毎日、車に乗ってひたすら走るという旅なので、文字通りの「走行」であった。

 蘭州を起点に、武威、金昌、張掖、酒泉、嘉峪関、敦煌、陽関、雅丹、玉門関の順で河西回廊に沿ってシルクロードの主要経路を辿った。古代のロマンに浸り、東西文明を結ぶ通商の道という歴史の意義を噛みしめながら、今日の経済発展を確認する目的の旅だった。今回はその旅の見聞と点描をお届けしたい。

交通事情は飛躍的に改善

 ご存じのように、河西回廊とは、東は烏鞘嶺からはじまり、西は玉門関までの長さ約900kmの西北―東南方向に走る狭く長い平地を指す。回廊の形をなし、黄河の西にあるために河西回廊と呼ばれる。

 私が訪問した町がいずれもその河西回廊に東から西へと点在しているものだ。古代は涼州(武威)、金昌、甘州(張掖)、粛州(酒泉)、敦煌(沙州)、安西(瓜州)と呼ばれるオアシス都市群だ。漢族、回族、モンゴル族など多くの少数民族が居住している。ちなみに、甘粛省という地名も甘州と粛州から来ている。その意味では、今日の甘粛省を知るには、いまでもシルクロードの重鎮とも呼ぶべきこれらの町を理解しないといけないと思う。

 はじめてシルクロードを旅したのは三十数年前のことだった。その意味では、前回の旅行とは自然に比較したくなる。それも今回の旅の隠し味になる。前回は主に列車を利用したが、今回はもっぱら車を利用していた。道路事情の飛躍的な改善によるものだ。

 祁連山脈を左手に疾走する車の車窓から見ると、左側にもう一本の自動車道を作っている。右側には鉄道が走っているが、その横にも一部の地域では、もう一本の鉄道の工事が進められている。30年前は、敦煌に空港がなかったが、いまや北京、上海、西安、蘭州など多くの町とつなぐ空路が開かれている。交通事情の信じられないほどの改善は、シルクロードの旅に快適さをもたらした。