いつか出したいと思っているテーマの本がある。相場格言の本だ。といっても、単に格言を紹介するようなものではない。相場格言に、したり顔で、わかったような、わからないような解説をつけてもあまり意味はないだろう。行動経済学の観点からの新しい解釈をつけてみたいのである。

 私のはじめての単著『円・ドル相場の変動を読む』(東洋経済新報社)の第4章を「外国為替と相場格言」として相場格言を解説している。また、『相場のこころ』(東洋経済新報社)という訳書にも、挿絵に代えて格言や箴言をエッセイの後ろにつけたりした。格言好きなのだろう、私は相場に関係するようになってすぐに相場格言に興味を持った。

 「もうはまだなり、まだはもうなり」など、頭をクラクラさせながら考察していた。

 「もう買ってもいいだろう」と思ったときは「もうはまだなり」だから「まだ買っては駄目」ということになって、「それでは、まだ待とう」と考え直した瞬間に「まだはもうなり」で「買ってもいいよ」となる。

 「じゃ、もう買っちまおう」と思うと、また、「もうはまだなり」が立ちふさがる。つまり、堂々巡り。向かいあわせに立てた2枚の鏡の世界、テレビの中に映っているテレビの世界だ。

 相場に入ろうとした瞬間からディーラーは深刻な悩み、アンビバレンツ(相反共存)を抱えることとなる。頭の中は混乱し、「まだ」と「もう」がエンドレスに交互にグルグル回る。「まだ」は決して「もう」ではないし、「もう」が「まだ」を意味することはありえないのだから。

 ある意味、人をくっている格言に思われた。私が、相場格言から離れようとしたのは、この格言との格闘に疲れたからかもしれない。

相場格言と
マーケット心理

 今では、この格言に対して、少し違った感想を持っている。“マーケットの心理”を加味した解釈である。

 例えば、「天井の翌日が底ではない」などという格言も、チャートの読み方を教えたものという理解もできるが、単にマーケットの価格動向のくせを理解するというばかりではなく、人間の記憶とともに値動きを理解することが必要なのだと教えているように思う。人は、直近の記憶に強く影響される(直近の記憶のほうが強烈で、昔の記憶は薄れていく傾向にある)からだ。