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2020東京五輪開催までの7年間で
日本スポーツ界がすべきこと

相沢光一 [スポーツライター]
【第268回】 2013年9月10日
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 2020年オリンピックの招致競争で東京が勝利した。

 夏季五輪は昨年のロンドン大会で30回を数えるが、複数回開催された都市は過去に3カ所ある。ロンドンが3回、アテネ、ロサンゼルスが2回。これに東京が肩を並べたわけだ。

 1回目の1964年東京大会は戦後の復興ぶりを世界にアピールする意味を持つ大会だった。日本は戦争の痛手からいち早く立ち直り、高度経済成長期を迎えた。アジア初の五輪開催という目標がそれに拍車をかけ、東海道新幹線や首都高速道路の開通、羽田空港の増改築など首都を中心としたインフラ整備が一気に進んだ。日本が成し遂げた驚異的な経済成長に、五輪は欠かせないものだったともいえる。

 それから56年後の2020年、2回目の東京大会が開催されることになった。東京はすでに世界に冠たる機能を持つ成熟した都市になっている。メイン会場となる国立競技場は全面的に改修されるが、既存の競技施設も多く、近年の五輪の目標となりつつあるエコでコンパクトな大会が実現できそうだ。また、招致の最終プレゼンテーションでもアピールされたが、今回は東日本大震災に対する各国の支援への感謝と復興を示すという意味もある。56年前とはかなり趣の異なる大会になりそうだ。

1964年の東京大会で
日本が躍進した理由

 日本のアスリートを取り巻く環境も1回目の東京大会とは大きく様変わりしている。

 64年大会の日本が大躍進したことは確かだ。その4年前のローマ大会では金メダル4個、メダル総数18個だったのが、東京大会では金メダル16個、メダル総数29個に。国別金メダル獲得数もアメリカ、ソ連に次いで世界3位になった。が、選手が恵まれた環境で実力を伸ばしたとは言い難い。

 この時の日本選手団の多くは大学生。社会人もいたが、競技に専念できる環境を持つ企業は八幡製鉄、日立など一部の重厚長大産業に限られ、競技によっては大学に職員として残る以外に練習を続ける道がないケースもあった。また、自衛隊員、警察官も少なくなかった。学校体育(部活)でそれぞれの競技の才能を見い出された選手が競技を続けられる環境をなんとか見つけ、そこで学業や仕事をしながら猛練習を積み、世界レベルの実力をつけたというのが実情だ。

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相沢光一 [スポーツライター]

1956年埼玉県生まれ。野球、サッカーはもとより、マスコミに取り上げられる機会が少ないスポーツも地道に取材。そのためオリンピックイヤーは忙しくなる。著書にはアメリカンフットボールのチーム作りを描いた『勝利者』などがある。高校スポーツの競技別・県別ランキングをデータベース化したホームページも運営。 「高校スポーツウルトラランキング」


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