政府相手のビジネス

 大恐慌に続き、第二次世界大戦もマッキンゼーにとってはビジネスチャンスとなった。戦時中、同社はケチャップ・メーカーのハインツにグライダーを、自動車メーカーに戦車を製造するようアドバイスするなど、民間企業に対して軍需への転換をすすめていた。そして、戦後は急増した政府の軍事予算を狙って新たにワシントンDCにオフィスを開設した。

 1952年に大統領に選出されたドワイト・アイゼンハワーは、行政機関の重要人物任命やホワイトハウスの再編成に関してマッキンゼーに助言を求めた。その結果、ホワイトハウスに首席補佐官という役職が設けられ、そのポストはマッキンゼーが政府関係のビジネスを拡大していく重要な足がかりとなった。

 マッキンゼーは1950年代に25から30の連邦政府機関と仕事をしたという。特に国家安全保障問題に関するプロジェクトはマッキンゼーにとって重要だった。国防省、AEC(アメリカ原子力委員会)、NASA(アメリカ航空宇宙局)などの政府の重要機関にアドバイスを与える立場になった。

 マッキンゼーの政府機関に対するアドバイスは明確だった。すなわち「研究開発に関わる契約は民間企業と結ぶべき」というものだ。当然、候補に挙がるのはすでにマッキンゼーの大口クライアントになっている大企業である。こうして1950~1960年代を通してマッキンゼーは政府と民間企業のビジネスをつなぐパイプ役を果たすことになった。

 資料によると、たとえばマッキンゼーのクライアントだったノースアメリカン・アビエーションはNASAのアポロ計画で支出された240億ドルのうち3分の1以上を獲得している。こうして、政府との仕事は、民間企業がマッキンゼーを雇う大きな動機につながっていった。