福島を扱うのは面倒になっている…。 原発事故の収束も見えない状況のなか、メディアはさまざまな関係者が入り乱れる福島の日常で生きる人々や暮らしを伝えてきたのだろうか。全国から集まった記者が福島県いわき市を取材した「ジャーナリストキャンプ福島」の連載「震災後の福島に生きる」(全10回)を振り返りながら、連載を通して見えた、メディア、被災地が直面する問題や、ソーシャルメディア時代のジャーナリストの在り方について、いわき市出身で開催を提案した社会学者の開沼博さんと、キャンプを主催した日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)の藤代裕之代表が話し合った。

対談・開沼博vs.藤代裕之 <br />記事の「炎上」は福島を語るのに重要だった開沼博さん(右)とJCEJの藤代裕之代表

福島を記事として扱うのは
リスクが高い

藤代 JCEJは、組織や媒体の枠を超え、 ジャーナリストが「個」として切磋琢磨しあう場を提供する団体です。キャンプには、15人の新聞やウェブ、フリーの記者やデザイナーが全国から参加し、2泊3日で取材を行い、記事を執筆しました。開沼さんには5人いるデスクの一人として参加者にアドバイスもしてもらいました。

開沼 いわき市に眠っている物語を掘り起こしてもらいたいという当初の目的は十分達成することができました。福島では、テレビ局・ラジオ局の拠点は福島市と郡山市にあり、新聞も本社や支局は福島市にあり、メディアの拠点が中通りに集中しています。浜通りが津波・原発事故の直接的な影響という意味では一番受けているのに、よそ者的な報道がされているように感じることも多かった。無意識の中の情報格差が福島の中にもある。そのことを分かった上で、きれいごとばかり書くのではなく、賛否両論、炎上を起こすような議論をしてほしいと思っていました。

藤代 マスメディアやネットで扱われる放射能、原発という問題ではなく、読者が見たことのない記事をどう出すかが大きなテーマでしたが、結果的にいろいろな記事が出てきてホッとしています。