経営×ソーシャル
ソーシャルメディア進化論2016
【第40回】 2013年10月1日
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武田 隆 [クオン株式会社 代表取締役]

【梅田望夫氏×武田隆氏対談】(中編)
瀕死のベンチャーがたどり着いた
広告に頼らずインターネットでマネタイズする方法

ベストセラー『ウェブ進化論』著者が『ソーシャルメディア進化論』著者に訊く!

インターネットまわりのビジネスをするうえで、必ずついてまわる問題が「マネタイズの難しさ」だ。1996年に学生ベンチャーとして起業した武田隆氏にとっても、最大の悩みはそこにあった。
でも、広告には逃げたくない。「サイトをつくって人を集めて、広告を入れれば収益が上がる」というやり方は何かが違う。「広告モデルは20世紀のマスメディアに最適化されたビジネスモデル。インターネットにはインターネットらしいビジネスモデルがあるはず」と思ったからだ。そこで苦悶の末に、武田氏らがたどりついた答えとは……?
前回からひきつづき、インターネットの黎明期からその進化を見つづけてきた梅田望夫氏との対談の中編をお送りする。

オープンなだけじゃ人はつながれない、京都での気づきが設計の根本に

武田 1996年に誰よりも早く起業した弱小の学生ベンチャーは、1998年に一気に押し寄せたインターネットの潮流にあっけなく飲み込まれていきました。あっという間に、その存在は小さいものになっていきました。どうせ存在がなくなってしまうなら、「せめてインターネットにインターネットらしい何かを残してから解散しよう」と仲間と話し合い、なかば自暴自棄に開発を始めたのが「Beach(ビーチ)」というコミュニケーションツールでした。

 大げさにいえば、自分たちの存在(アイデンティティ)を賭けた戦いでした。

梅田望夫(うめだ・もちお)
1960年生まれ。慶應義塾大学工学部卒業。東京大学大学院情報科学修士。コンサルティング会社「ミューズ・アソシエイツ」をシリコンバレーに設立し、日本のIT起業家に対する支援やマネジメント・コンサルティングを行う。2006年には『ウェブ進化論』でパピルス賞を受賞。「観る将棋ファン」を自認し、将棋の普及に関わる活動にも広く携わる。

梅田 そのシステムが、今、日本最大の企業コミュニティモール(2011年矢野経済研究所調べ)となったわけですね。最初から、企業向けを想定していたのですか?

武田 いえ、最初は無料のプラットフォームとして、コンシューマ向けを想定していました。儲かるか儲からないかというよりは、ただ「部屋を主役にするコミュニケーションツール」を世界に提案しようと思ったんです。それで、マーク・アンドリーセン(世界初のウェブブラウザ「モザイク」の開発者)のようになれればそれでいいと思ったんですね。部屋を主役にするという考え方は、とても日本的なアプローチで、他との差別化にもなるだろうし、世界に広がるインターネットユーザーにも喜んでもらえるんじゃないかと……。

梅田 部屋、ですか……?『ソーシャルメディア進化論』に、参加者が本音を出せる空間づくりの参考として「利休の茶室」を出されていましたが、制作当初から茶室的なイメージがあったんですね。

武田 設計を始めたころ、大学時代からの恩師である武邑光裕先生が京都造形芸術大学に移られて、「日本の伝統芸術とマルチメディアの融合」というテーマで研究をされていたんです。私もその研究に参加させていただき、コミュニティのシステムを設計しながら、月の半分は京都にいました。そのときに、「明るくてオープンなだけじゃ人はつながれない。影や暗さ、秘密というものに心地よさを感じることもあるのだ」と、様々な日本の伝統芸術から教わりました。谷崎潤一郎の世界のような……。

梅田 たしかにそうかもしれません。

武田 京都・山崎には、利休の残した茶室「待庵」があります。茶室の中はかなり暗いんです。光は小さな長方形の窓から、ぼやーっと入ってくるだけ。そして、広さは2畳ほどしかありません。ここに2人で向かい合うとなると、ものすごく密度の濃い秘密の空間が生まれたんだろうなと感じました。そういった空間は、当時のインターネットにはないと思ったんですね。

梅田 当時のインターネットは、むしろ暗闇のないオープンな空間を世界中に広げようとしていたムーブメントでした。茶室というのは、どちらかというとリアルな世界のメタファーですからね。それとは真逆のバーチャル空間を押し広げ、パブリック、オープン、フリーで世界を覆ってみようという試みだった。世界中の他者と出会えるなど、リアル空間ではできなかったことが、オープンであるがゆえにできるようになる。そのことに興奮していた人が大半だったように思います。

武田 とりわけ、黎明期はそうでしたね。

梅田 そして、その感覚で覆い尽くされそうになったころに、アンチテーゼとしてクローズドなSNSが興隆しました。グーグル的なオープンな世界が現実に広がってきてみると、人間そんなにオープンな世界ではいられないぞ、と多くの人たちが気づき、フェイスブックを代表とするSNSの流れが大きくなっていったんです。それが2005~2007年くらいのことです。ここでやっと、コミュニティという概念が一般のものになってくる。

 だけど、なぜ武田さんは1998年という早い段階で、コミュニティが来ると予測できたのでしょうか。

武田 隆(たけだ・たかし) [クオン株式会社 代表取締役]

日本大学芸術学部にてメディア美学者武邑光裕氏に師事。1996年、学生ベンチャーとして起業。クライアント企業各社との数年に及ぶ共同実験を経て、ソーシャルメディアをマーケティングに活用する「消費者コミュニティ」の理論と手法を開発。その理論の中核には「心あたたまる関係と経済効果の融合」がある。システムの完成に合わせ、2000年同研究所を株式会社化。その後、自らの足で2000社の企業を回る。花王、カゴメ、ベネッセなど業界トップの会社から評価を得て、累計300社のマーケティングを支援。ソーシャルメディア構築市場トップシェア (矢野経済研究所調べ)。2015年、ベルリン支局、大阪支局開設。著書『ソーシャルメディア進化論』は松岡正剛の日本最大級の書評サイト「千夜千冊」にも取り上げられ、第6刷のロングセラーに。JFN(FM)系列ラジオ番組「企業の遺伝子」の司会進行役を務める。1974年生まれ。海浜幕張出身。


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