福田康夫首相は25日、この日就任式を終えたばかりの李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領と会談し、日韓両国間の懸案の1つだった経済連携協定(EPA)の締結交渉を再開することで合意した。

 両国は、2003年にEPAの締結交渉の開始に合意しながら、小泉純一郎前首相の靖国神社参拝問題などが障害となり、2004年から交渉を中断していた経緯がある。今回の合意は、国内の経済運営で失政を繰り返してきた福田政権としては、久々のポジティブな成果と言えるだろう。

 しかし、早くも交渉をけん制する動きが表面化しており、先行きには暗雲が漂っている。加えて、より日本経済にとって大きな効果が期待できる米、欧、中の3極とのEPAについては、正式に交渉を開始することさえ決まっておらず、EPA関連の課題は山積みなのが実情だ。

 EPAとは、Economic Partnership Agreementの略で、国(地域を含む)同士が相互に経済分野の連携強化を目指すために結ぶ協定だ。自由貿易協定(FTA)が、主に関税を引き下げて貿易の活発化を目指すのに対して、EPAはFTAを取り込んだうえで、さらにサービス、投資、人の移動の円滑化など、モノの貿易にとどまらない、幅広い分野での交流を促そうとするのが特徴となっている。

協定締結に消極的で
世界に出遅れた日本

 歴史的にみると、日本は、2国間、地域間のEPA、FTAなどの締結に熱心だったとは言えず、欧米に大きく遅れをとってきた。

 例えば、欧州では、1952年に誕生した欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が母体になって、関税同盟(1968年完成)、市場統合(1992年完成)、欧州連合創設(1993年マーストリヒト条約発効)通貨の共有(1999年ユーロ導入、2002年ユーロ通貨・紙幣の流通開始)、加盟国27ヵ国に拡大(2007年)と政治・経済の統合が進展。

 一方の米国は、まず1994年にカナダ、メキシコと北米自由貿易協定(NAFTA)を締結した。さらに、イスラエル、ヨルダンともFTAを締結。その後、拡大戦略を加速し、2003年、2004年の2年間だけで、シンガポール、チリ、オーストラリア、バーレーン、モロッコ、コスタリカ、エルサルバドル、グアテマラ、ホンジュラス、ニカラグア、ドミニカ共和国の11ヵ国との間でFTAに調印・合意した。

 これに対し、日本は大幅に出遅れてきた。2002年に、シンガポールと締結したのが、日本にとって最初のFTAだ。現在も、日本は、メキシコ、マレーシア、フィリピンなど8ヵ国とEPAを締結するにとどまっている。

 出遅れの理由としては、日本の戦略が、マルチの貿易拡大を目指す世界貿易機関(WTO)だけを重視する偏ったものだったことが大きいとされている。さらに、国内の農業保護を求める観点からの慎重論なども根強かった。