先週のコラム「中国でも尊敬される小説家井上靖さん、山崎豊子さんの思い出」の中で、井上靖、山崎豊子をはじめ多くの日本文化人が織りなした点と線で、日本と中国をしっかりと結びつけてきたこれまでの歴史を振り返ってみた。コラムの最後のところに、「(井上靖、山崎豊子をはじめ多くの日本文化人が織りなした点と線で)しっかりと結ばれた日中関係を今度、私たちは故人たちの遺志を受け継いで、引き続き生命の点と線で結ばせて行く番となった」と結んだ。今週は、その続編をお届けしたい。

写真展の構想を熱っぽく
語りかけてきた北京在住の日本女性

 今年の3月中旬、中国の初のプライベート・ビジネス・スクールである長江商学院からの要請で、北京と上海で連続講演をした。その北京会場に、三宅玲子さんという北京在住の見知らぬ日本人女性が駆けつけた。講演後、人込みの中で「日中未来のこども100人写真展」と温めている構想を熱っぽく語りかけてくれた。飛行機の時間を気にした長江商学院の関係者がその話を遮り、私に出発を催促した。近々、東京に来るのを知って、そこで三宅さんに東京でゆっくりと話を聞こうと約束した。

 4月2日、東京に訪れてきた三宅さんとわが家の近くの喫茶店で合流した。その時点で私はまだアドバイスまたは誰か協力者の紹介をすれば、私なりの役割が果たせると思っていた。しかし、喫茶店に入って、三宅さんの横にいる人を目にしたとたん、そうはいかないと覚悟した。

 その人は渡辺満子さんだった。もと日本テレビのチーフプロデューサーでもあった彼女と一緒に仕事をしたことがある。しかし、彼女とはもっと重要なところで繋がっている。実は彼女は故・大平正芳首相の孫娘なのだ。

 ご存じのように、1972年、日中国交正常化を実現するために訪中したのは、田中角栄首相と外務大臣を務めていた大平氏だった。その大平氏が1979年12月、首相として中国を訪問し、日中間交流をいっそう促進することの必要性が確認され、とりわけ文化面での協力の一環として、中国における日本語学習の促進に協力するという約束を交わした。