ここまで娘を支配し続けてきた母親の行動は、精神的虐待とも言える。なのになお、母親を裏切る自分を責め続けているのである。

 M美さんは「ピアノが好きだった」と言う。

 過干渉の母親が妨害しなければ、素直にその才能が伸びて母娘念願のピアニストになれたかもしれない。その芽を摘んだのは母親である。

 母親の支配力を利用して娘の自己をつぶしてしまう母親の行為は、体罰やせっかんとは別の意味で虐待と呼べるのではないだろうか。

 それは娘たちの心、そして生命力そのものを奪う虐待であると私は思う。

「お母さんから自立して離れたいと思うのは、悪いことではないですよ。
 たとえ母親でもそこまで娘の人生に干渉してきたら、困って当然です。
 お酒の力を借りることはあっても、あなたは自分の力でここまでやってこられたじゃないですか。本当によくやってきたと思いますよ」

 私は苦労をねぎらい、罪悪感をできるだけ軽くさせるよう話した。

 長いことM美さんを苦しめてきた母親への嫌悪と罪悪感の葛藤は、すぐに消えるものではない。

「母と私は別々の人間なんですね」と吹っ切れたような表情を見せることがあるかと思えば、また打ち沈んだ顔でカウンセリングに訪れることもあった。

母との決別で新しい人生へ

「母は私を本当にピアニストにしたかったのか、それともただ自分の思い通りにしたかっただけなのか。それを考えるとわからなくなるんです。
 でも、きっとそれは母自身にもわからないのかもしれませんね」

 M美さんの口からそうした客観的な見方が出てくるようになったのは、私のもとに通い始めて半年近く経ってからだった。

 ふと気づくと、M美さんからアルコールのにおいが消えている。

「最近はあまり飲まないんですか?」
「何だかやめられる気がして、今、ちょっとお試し中なんです」
 M美さんは照れくさそうに笑った。

 M美さんは一人で生きていく覚悟を決めたようだった。母親が合鍵を持っているアパートは引っ越し、新たな自分の生活をスタートさせた。

 もちろん、もう合鍵は渡さない。

 最後の面接からしばらくしてM美さんと再会したとき、女性はこうも変わるものかと私は少々驚いてしまった。