本田美奈子さんがレパートリーとして歌った唱歌は5曲。発表順に並べ替えるとこうなる。だれでも歌ったことがあり、全部ではないにせよ、歌詞もかなり覚えているはずだ。そして、なんとなく懐かしい。では、どうして万人が懐かしいと感じるのだろうか。

「夏は来ぬ」(1896)作詞・佐佐木信綱、作曲・小山作之助【唱歌】
「旅愁」(1907)ジョン・オードウェイ(米)作詞作曲、犬童球渓訳詞【唱歌】
「鎌倉」(1910)作詞・芳賀矢一、作曲者未詳 【文部省唱歌】
「紅葉」(1911)作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一【文部省唱歌】
「故郷」(1914)作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一【文部省唱歌】

小山作之助のオリジナリティ

「夏は来ぬ」は、民間で編集・出版された教科書、教育音楽講習会編纂『新編教育唱歌集』(第1集~第8集、三木書店、1896-1906)に収録されている。作曲年が1896年となっているが、国会図書館に所蔵されている第1集と第2集には掲載されていないので、おそらく1900年以降の作品だと思われる。

身に覚えのない原風景を日本人に刷り込んだ<br />「文部省唱歌」はどのように生まれたのか教育音楽講習会編纂『新編教育唱歌集』第1集(1896)のトビラ

 佐佐木信綱(1872-1963)は東京帝国大学出身の万葉学者にして高名な歌人だ。小山作之助(1864-1927)は音楽取調掛で学んだ最初期の作曲家で、卒業後は東京音楽学校教授をつとめ、市井では芝唱歌会を主宰して西洋音楽である唱歌の普及や東京音楽学校進学を目指す青年らを指導していた。瀧廉太郎(1879-1903)にも芝唱歌会、東京音楽学校を通して教えている。

 小山は團伊玖磨がこの時期の作曲家のなかでもっとも評価している人物である。

 「筆者が小山作之助に注目するのは、彼の曲に同時代のほかの作曲家たちとは違うオリジナリティを感じるからです。/まずテンポ感の違いです。日本人の音楽に対するテンポ感は、邦楽によって培われたせいか、基本的にゆっくりで、歌もたいていはゆっくりと歌います。初期の唱歌もまたしかりでした。ところが、そんな時代にあって、小山の『夏は来ぬ』(うの花のにおう垣根に、時鳥 早も来鳴きて。佐佐木信綱詞)は、テンポは速く、曲調もたいへん明るく(略)」(團伊玖磨『私の日本音楽史』(NHKライブラリー、1999)と、小山の作風を評価している。