「南海電車に飛び込むしかありません!!」

 そのことを身をもって示したのが、何を隠そう、この私である。

 ご承知だとは思うが、私はテストを受けてプロの世界に入った。
「大金を稼いで、女手ひとつで私を育ててくれた母親に楽をさせてやりたい」
 と思ったからだ。

 とはいえ、実態はブルペン捕手要員。しかも、1年目のオフにはクビを言い渡された。

「どうしてもクビなら、南海電車に飛び込むしかありません!!」

 そう泣きついてなんとか解雇だけは免れたが、このままでは遅かれ早かれ同じ憂き目を見るのは確実だった。

 どうすれば、監督やコーチの目に留まることができるか──私は懸命に考えた。

「1日24時間の使い方が勝負になる」
 そう思った私は、それからほかの選手が遊んでいるときもひたすらバットを振った。人の3倍は練習したと思う。
 これは口で言うのは簡単だが、決してたやすいことではない。

 私が努力し続けることができたのは、「頭角を現さなければ野垂れ死にするしかない」という危機感と、「なにくそ!」という“負けじ魂”があったからだ。私のなかの“野生”に突き動かされたのである。

「知性の人」である前に「野生の人」

 のちに私は、日本ではじめてデータに着目し、バッティングやリードに活かすことになった。監督になってからは、さらにそれを深化させ、日本一にのぼりつめた。そして、“ID野球”は私の代名詞となった。

 それゆえ私は、世間からは「理性の人」「知性の人」であるとみなされているに違いない。

 実際、私は「野球は頭のスポーツである」と言い続けてきたし、体力・気力・知力のうち、体力と気力を重視する精神野球を嫌悪する。

 しかし、じつは私は、「知性の人」である前に「野生の人」であった。

「絶対に勝ってやる!」
 そういう強い闘争心を、いつも私は根底にもっていた。決して失わなかった。

 強い闘争心や負けじ魂をもっている人間は、結果を出すためであれば、どんなことにもなりふりかまわず貪欲に取り組む。変わることも厭わない。
 もっと成長するためにはどうすればいいのか徹底的に考え、創意工夫するのだ。