他から頼まれて仕方なしに参加していたのでは、画期的な成果など生まれない。NIMSのように、「ここは自分の専門領域だ、誰がNIMS以外にこのテリトリーをやるんだ⁉」と考えて研究に没頭する人がどれだけいるか、それで成否は決まる。「元素戦略」の強みは、多くの異なるジャンルの研究者たちが、それぞれ「これは自分の専門だ!」と思って研究が進んでいることだ。

 材料系の研究者たちの特質も「元素戦略」に味方した。彼らは他の分野の研究者と「つるむ(協力する)」ことを苦にしない。ジャンルの異なる研究者とも平気で手を組み、協力を惜しまずに仕事を進め、成果を次々に生み出していく経験を積んでいる。これが大きい。

 実際、材料系から大きな加勢があった。材料系の学会20団体ほどが、「材料づくりや産学連携を戦略的にしっかりとやっていこう」という主旨で、材料戦略委員会という組織をつくった。「元素戦略」にとっては非常に強力な布陣が誕生したわけだ。それを立ち上げたのが京都大学の村上正紀教授(現・立命館大学副総長)で、かつてIBMの研究所にいた、産業分野に目利きのできる人である。

 箱根会議に続く二度目のワークショップ(2006年)では、私たちはその村上正紀教授にコーディネーターをお願いした。村上教授をリーダーに据えることで、突破力と行動力のある金属・材料系にあえて軸足を移し、化学分野との協力を促した。その効果は絶大で、金属・材料系の研究者が多数集まってきただけでなく、しばらくすると他分野の研究者も「元素戦略」の輪に入ってくるようになった。こうして、化学系の研究者に材料系の人たちの力も加えることで、「元素戦略」というテーマが加速度的に盛り上がっていった。

 また、日本におけるナノテクノロジーの第一人者である田中一氏がJST上席フェローとなられたのもこの頃であった。田中氏は、「垣根を越え、顔を突き合わせて日々激論し、高度の物質観をもつことが必要だ」と各学界、産業界を説いて回った。田中氏の専門は応用物理学である。化学や材料ともさらに異質の考えをもった人が参加してきたことで、さらに他の学問、産業をまとめていく原動力となった。

研究者にも「出口戦略」まで考えて欲しい

 「元素戦略」にあえて「戦略」と付けたのは、「日本の産業競争力を強化する狙い」が大きい。それを実現するためには、従来とは異なる発想が必要だ。つまり、研究者には産業化への戦略マインドをもってほしいし、製品化に至る出口戦略まで、研究者にもいっしょになって考えて欲しいと願っている。かつては、出口戦略というと、研究者に冷たくあしらわれたものだ。なぜなら、研究者の本分は「基礎研究」にあり、「製品化(出口)は企業が考えること」という発想が強かったからだ。

 もちろん、基礎研究の研究者が出口戦略まで考えることに対する功罪は理解しているつもりだ。それを承知の上で、「元素戦略」に関していえば、「研究は成功した、さらに製品開発・販売も成功した」までもっていかなければ、国家戦略にする意味がない。「手術は成功したが患者は死んだ……」では失敗である。国民が生きていくために、国としてどうやって稼いでいくのか、そういった意味が「戦略」という二文字に凝縮されている。

 従来の科学者というのは、狭い専門的な研究だけをしっかり極めればよい、とされてきた。しかし、「元素戦略」でのサイエンティストの役割は違う。個々の研究者がジャンルの枠組みを超えて結びつき、企業の技術者や営業マン、役所の人までを巻き込みながら、「産学官」の三者がそろって、「日本のために共同して進めましょう!」という、あくまで「国策」なのである。国策である以上、さまざまな支援策はもちろんのこと、成功させるための対策もいろいろと練っていくことになる。