“閖上の悲劇”検証委が指摘する市の対策不備 <br />初動体制マニュアルを見たことのない職員も…検証委員会後、吉井博明委員長(右から2人目)と澤谷邦男副委員長(左から2人目)、各作業チームの主査が記者会見に応じた
Photo by Yoriko Kato

東日本大震災の津波が襲った宮城県の海辺の町、名取市閖上地区。当時閖上にいた約4000人のうち、約800人が犠牲となった大災害の調査を行う第三者検証委員会の第3回会合が12月26日、市内で開かれた。委員たちからの報告の中でも、特に災害対策本部の検証については、市が長年にわたって計画の改定を怠っていたなかで発災当日を迎えたと指摘し、厳しい評価が並んだ。

 閖上の悲劇を検証する第三者検証委は、遺族や地域住民らの要請を受け、昨年8月に市に設置された。防災や社会調査、通信工学の専門家ら9人で構成され、▼市災害対策本部の活動に関する検証(作業チーム1)、▼閖上地区における避難行動に関する検証(作業チーム2)、▼閖上地区における防災行政無線の不具合に関する検証(作業チーム3)という3つの作業チームに分かれて検証作業を進めている。

災対本部の検証
悲劇を生んだ4つの背景と原因

 市災対本部の初動の実態解明や、初動対応に影響する事前準備を調査しているのは作業チーム1だ。

 防災行政や災害広報を専門とする桜井誠一委員・作業チーム1の主査(関西学院大非常勤講師)は、冒頭で、市の災害対策の歩みを整理したうえで、市地域防災計画と事前対策の概要を説明した。

 報告によると、市は2008年の計画改訂で、「地域防災計画の見直しとともに防災会議を中心とした総合的防災行政の推進」を掲げたものの、実際には防災会議が2000年以降開催されていなかった。また、翌2009年には防災行政無線が整備されて、情報伝達のあり方が変わっていたのに、地域防災計画は改定されていなかった。

 作業チーム1は、実態と異なる体制になっていたことを踏まえ、市の防災対策の根幹をなす「地域防災計画の軽視である」と市の体質を厳しく指摘した。

 さらに、市職員の災害時の初動体制マニュアルについての検証によると、発災時に最新のものは周知されていなかったため、実質的には10年前のままであった。マニュアルを見たこともなかった職員もいたという。組織改編で新しい課ができる前の状態で、マニュアルは存在しなかったも同然であり、「幻の初動体制マニュアル」と評した。

 また、市消防本部の「地震災害活動マニュアル(初動対応)」では、消防職員は計画通りに対応していたものの、津波対応は優先課題とされていなかったことを指摘。さらに、消防の初動対応マニュアルには潮位の変化に関する監視の記述がなく、災対本部との情報共有の方法が事前に決まっていなかったと推定した。

 犠牲になった住民たちの多くが集まっていたと思われる閖上公民館についても、当時の防災上の知見(2005年に内閣府防災担当が策定した「津波避難ビル等に係るガイドライン」)から考えて、2階建ての閖上公民館を指定するのは「危険だったのではないか」「避難所の指定は避ける必要があったのではないか」と、想定されていた収容人数300人を収容しきれなかった可能性も指摘した。