その説明ぶりは、真に堂々たるものであった。営業の心得を十分にのみ込んでいた。話が理路整然としていたし、また、話の中に「隙」がなく論駁の余地がまったくなかった。たとえ、彼の話のなかにまちがいがあったとしても――なにも私は彼の話にまちがいがあるようにと願ったわけではけっしてない――このセールスマンに向かっては、どれほどこの新車の性能に通じている人であろうとも、強い反論を述べられる人は、まずいないだろうと思ったほどである。

 すると、このセールスマンのトークがしだいにその方向を変えていった。理性に訴える段階は、すでに終わったものと、彼は見てとったにちがいない。彼は感情に訴える方法へ移ったのである。すなわち、「頭」に訴える段階は過ぎたとみて、「心」に訴え始めたのである。

営業への抵抗をなくす
理想的なインタビュー

 彼は私の友人に向かって、こうたずねた。
「奥様はおいででしょうね」
友人が「いますよ」と答えると、この車を買いあげたうえでの楽しさと誇り、どれほど便利であり重宝であるか、またこの新車でカントリー・クラブへでも乗りつけていった時のすばらしい気分などについて、まことに生き生きとするような話しぶりで話を続けていった。さらに言葉を続け、こういった。

 「この車でこれからお宅へ乗りつけて、ひとつ奥様をびっくりさせてあげてはいかがですか。それとも、こちらへ奥様をお呼びして、どの車にお決めになるか、ご相談なさっては……」

 話がここまで進むと、営業への抵抗はすっかりその影をひそめてしまうものである。友人の奥さんは、既成事実によって驚くというよりも、むしろ、ここにきていっしょに車を買うことのほうを喜ぶたちである、と友人はいった。するとセールスマンは、さっそく奥さんへ電話するように彼に頼み、店員の一人をすぐに迎えに差し向け、ショールームへお連れしたいといった。事実その車で迎えにいけば、実物の説明がいっしょにできるわけだ。

 これは、すぐに実行された。そして、若い奥さんは彼女の夫がほとんど「買います」という言質を与えたも同然といえる新車に乗り込んだのである。彼女を迎えにいっているあいだ、営業の話は続いて行なわれたが、セールスマンの話は、すっかり「仕上げ」の状態に入っていた。そして私には、私自身がふだん使っているテクニックを、このセールスマンが使い始めたことがよくわかった。それは、買うかどうかではなく、どちらにするか、ということである。