ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

古賀政男、コロムビア専属作曲家へ。
藤山一郎、学生のまま覆面でデビュー(1931年)

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]
【第47回】 2014年3月7日
著者・コラム紹介バックナンバー
1
nextpage

東京・代々木上原駅にほど近い高台。日本音楽著作権協会のビルに隣接して、3階建て半円形の古賀政男音楽博物館がある。3階にはこの地にあった古賀邸の一部が移築され、机、椅子、楽器、楽譜などが保存・展示されている。使用していたピアノ、ギター、マンドリンはガラス・ケースに陳列されていた。

本田美奈子「アマリア」のマンドリン

「決定盤 古賀政男 心のギター」(CD2枚組、日本コロムビア、2009)自作40曲を自身のギター・ソロとアンサンブルで収録している。正確なフレージングがよくわかる。歌唱による「自作自演集」はLPで1979年に日本コロムビアから発売されているが、現在は廃盤

 ギターとマンドリンはイタリアのヴィナッチャ製で、製作年代は不明だが、長年弾いていた跡が残る。ところどころニスは剥落し、指板は変色している。1920年代に入手したそうだから、100年は経過しているであろう。ギターは他に2台あったが、ヴィナッチャをとくに愛用していたという。

 明治大学マンドリン倶楽部の運営、指揮、演奏とともに、当時、専門学校でギターとマンドリンを教えて月収60円を得ていたというので、高価な輸入楽器を購入できたのである。

 1930年1月にビクターから佐藤千夜子の歌唱によるレコードが発売され、明大卒業後もマンドリン・オーケストラで活動していた古賀政男は作曲家としてデビューすることになった。31年には「影を慕いて」(佐藤千夜子版)もようやく発売されるが(後述)、あまり売れた形跡はない。

 1930-31年に発売されたビクターの古賀政男作品の伴奏は、明治大学マンドリン倶楽部が主体だった。マンドリンとギターが歌謡曲に初めて登場したわけだ。

 本田美奈子さんの1994年のアルバム「Junction」の中に「アマリア」という曲がある(連載第8回)。越路吹雪のカバー曲で、岩谷時子作詞、内藤法美作曲によるファド風の歌である。60年代の作品だ。

 萩田光雄による編曲は、マンドリン・ソロとヴァイオリン、チェロによる序奏で始まる。鮮やかなマンドリンのトレモロが印象的だ。ファドはポルトガルの民俗的な歌曲でギターの伴奏による。原曲の越路吹雪版ではクラシック・ギターの2重奏で始めているので、ファドの色彩が強い。

 本田美奈子版はマンドリンで始まる。マンドリンはイタリア、歌詞の舞台はポルトガルだが、岩谷時子さんは「長崎の石畳」を対比させており、国籍不明の不思議なファンタジーとなっている。萩田光雄は慶応義塾大学クラシカルギタークラブ出身のベテラン編曲家だ。奇しくもギター合奏の経験者であり、マンドリンの使用は撥弦楽器経験者の発想だろう。

 本田美奈子さんの歌唱による作品で、マンドリンを前面にだした歌は「アマリア」だけである。郷愁を呼ぶのだが、私たち日本人にとっては古賀政男の初期作品に対する郷愁だろう。筆者は昭和29(1954)年生まれなのでまったく同時代の経験はない。それでも郷愁を覚えるのは唱歌に対する郷愁と同じである。身に覚えのない郷愁だ。

1
nextpage
関連記事
スペシャル・インフォメーションPR
クチコミ・コメント

DOL PREMIUM

PR

経営戦略最新記事» トップページを見る

最新ビジネスニュース

Reuters

注目のトピックスPR

話題の記事

坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員]

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。


かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史

日本のポピュラー音楽の誕生をレコード産業の創始と同時だと考えると、1910年代にさかのぼる。この連載では、日本の音楽史100年を、たった20年の間に多様なポピュラー音楽の稜線を駆け抜けた本田美奈子さんの音楽家人生を軸にしてたどっていく。

「かの残響、清冽なり――本田美奈子.と日本のポピュラー音楽史」

⇒バックナンバー一覧