今日、3月11日で東北の震災から丸3年である。あらためて震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りする。

 さて、この3年間、僕も微力ながら東北に関わってきた。震災の翌日には仲間を集めて「東北ライジング」という団体を立ち上げた。仮設住宅に消火器が極端に不足していて、防災上、大きな問題があると聞いては消火器を集めて岩手県のとある仮設住宅に全戸配布したり(消火器に関してはその後、岩手、宮城、福島の三県が全戸配布を決定したので活動終了した)、福島の子どもたちが放射能の影響で屋外で遊べないと聞いては、(他のスポーツに比べてより多くの子どもたちが屋内で身体を動かせるようにと)キッズ・ダンス教室を開催したりした。

 また、さまざまなメディアで現地の有力な復興リーダー、つまり本当に支援すべき人たちを紹介したりしてきた。三陸各地でマーケティングのコンサルティングのようなことも行なってきた。いずれもたいして大きな活動ではない。しかし、活動の視点は当初から定まっていた。「復興」である。

なぜ、「緊急支援」「復旧支援」でなく、
「復興支援」なのか?

 2011年3月11日、震災当日、一晩中テレビを見ながら、SNSを通じて社会貢献の仲間たちと連絡し議論するなかで、自分は復興支援をやろうと決めた。緊急支援でもなく、復旧支援でもなく、復興支援こそが自分のやるべき仕事だと思ったのだ。なぜか?

 まず、緊急支援をやる力が自分たちにはなかった。緊急支援はプロの仕事である。自衛隊とか専門のNGOとか、装備や経験、組織力が必要となる。にわかにできあがったボランティア団体ができる仕事ではないのだ。というわけで、緊急支援は行わないことにした。もちろん、企業や個人からさまざまな救援物資を大量に集めたりはしたが、それは大手の支援団体につなぎ、現地での実際の支援活動(支援物資を届ける活動)はそちらにお任せした。つまり「自分たちの活動」としての緊急支援活動は行わないことにしたし、行なっていない。そんな力はなかったからだ。

 復旧支援をやらないと決めた理由は、行政も民間のNPOなども、ほとんどすべての支援活動がそこに集中することがわかっていたからだ。もちろん、被災地の復旧は大事な仕事だ。道路や港湾施設、商店街、住宅地などの生活基盤の復旧はもちろん大事だし、「心のケア」という言葉に代表される「人間の復旧」も必要だ。

 また、復旧支援というものはわかりやすい。壊れたものを直すわけだから、なにをどうすれば良いか、見えやすいのだ。だから、多くのNPOやボランティア団体が復旧支援に取り組むことは分かっていたし、実際にそうなった。そして、自分たちがやらなくても他にやってくれる人たちがいるような活動を、自分たちに優位性がないのにやる必要はない。そんな判断から、緊急支援もやらないことに決めた。ビジネスパーソンならこの判断の合理性は理解してもらえるだろう。

 もちろん、消去法だけで復興支援を決めたわけではない。復興支援こそ大きな災害を受けた被災地支援に本質的に必要であると考えたこと。そして自分たちの優位性を活かせるのは復興支援であると判断したこと。これらが、復興支援に向かった大きな理由だ。ただし、復興支援は難しい。復興とは「以前よりもよりよい状態に戻すこと」だが、なにをどうすれば、そのような状態に戻せるか、誰も分からない状態からスタートしなければならないからだ。