中山 国としては雇用につながるところが大事なわけで、いまなら自動車産業に行き着きますよね。その自動車を支える根幹技術が触媒や、貴金属元素の代替といったことになるので、国としてそういうところでメシを食っていくためのタネ銭としては非常にいい投資の仕方ではないかと思いますね。

北川 自動車業界が依存するロジウムはレアメタル中のレアメタルで、生産量はパラジウムに比べても10分の1と圧倒的に少ないし、価格は乱高下するし、今後は需要増が見込まれて高くなる一方で、さらに採取できる国・地域は偏在しているというものです。こういった希少な元素に頼らざるをえないというのは、国としては将来、不安ですよね。
 だから、ロジウムを使わなくても、豊富に存在し、安価な材料で代替できれば、産業としても安心して仕事ができます。僕の研究がそういうところにつながって最終的に実用化されれば、大学の人間としてこんなに嬉しいことはないですね。自分の「0から1」になるような基礎研究が国民に還元されるわけですから。

「元素戦略」が科学界に与えた影響

──そろそろ終わりの時間が近づいてきてしまいましたが、お二人から見て、「元素戦略」の意義はなんでしょうか?

北川 そのことについては、ぜひ言っておきたいことがあるんです。それは「元素戦略」がさまざまな世界・社会に「融合」をもたらしたということです。「元素戦略」が学会というムラ社会を互いに結びつけたり、大学の研究者同士をくっつけたり、異分野の人々を呼び集めたり、企業も参加させてきた。いわば接着剤、バインダーのような役割を果たしている。その意味でいうと、「元素戦略」は単なる科学技術推進のプロジェクトだけではなく、本当に日本の科学技術のカルチャーを融合させたという意味では大きな効果があったと思います。

中山 分野を超えるキーワードが大事なんですね。しかも、そのキーワードがそれぞれの人にとって、まるで我がことのように嬉々として取り組める。どの学会の人も同じ言葉で、それを自分のものとして研究し、発言できるというのはすごいことです。

──「元素戦略」は科学者たちからボトムアップ的に出てきたということだったのですが、日本の閉塞感とか、危機感とか、そういうものが関係あったのでしょうか。

中山 大学などの科学者・研究者であっても狭い自分の枠だけに閉じこもって研究をしていていいのか、自分の研究成果を一段昇華していくにはどうしたらいいのか、何か社会に対してしっかりとアウトプットをしていくべきではないのかという発想が「元素戦略」を始めるときの根底にあったのではないかと思いますね。そのときに「研究者にも出口戦略を考えることが大切ではないか」と自ら考えたからこそ、すんなり出口の意識を共有できたのではないでしょうか。もしこれがトップダウンで、しかも「出口も考えろ!」と強制されていたら、ここまで出口戦略に積極的にはなれなかったと思います。

北川 もう1つ、「元素戦略」の重要な意義があると思うんです。まず、何かをアメリカがやりはじめた、どうやら大丈夫そうだぞ、日本でもいまからアメリカを追いかけていこう──日本のこれまでの科学技術政策の多くはそういうものだったように思いますね。けれども、アメリカもヨーロッパも考えていないことを先に立ち上げたのが「元素戦略」だった。日本は資源小国だから、リーディングカンパニーじゃなくて、リーディングカントリーとして元素戦略を率先してやっていくほうが周りの国もついてくるんです。
 「元素戦略」は最初に日本で立ち上げたものですけれど、いまや、アメリカやヨーロッパでも似たようなプロジェクトが次々に動き始めていると聞いています。今後も「世界に先駆けて日本が最初にやる!」という積極的な姿勢が大切なことだと思います。