「自分はこう思う!」だけでは研究になり得ない

「企業の国際化戦略に影響を与える要因は何か?」

 これが、最大限に単純化した、私が博士論文で扱っていたトピックです。

 そうはいっても、社会科学としての経営学の研究を行うためには、井戸端会議のように、思いついたものをそのまま列挙していくわけにはいきません。なぜなら、社会科学の研究の世界は、コンサルタントがするように、納得感があり、「MECE感」があり、関係者が良いと言うならば、どのような理論的枠組みもゼロから作れるような世界ではないからです。

 実務の世界と、社会科学の研究の世界が最も異なる点。つまり、社会科学の学術研究として認められる知見と、そうとは認められない知見との大きな差は、「社会科学の研究は『Standing on the shoulders of giants(巨人の肩の上に立つ)』である」ということだと思います。

 これは、Wikipedia(*1)の記事にもあるくらいは有名な言葉です。一文で意訳すると、「過去の発見の蓄積に立脚して、そして過去の発見よりも高みに存在する真理に向かう」という比喩を含めた表現になります。

 つまり、なんでもかんでも自分の思ったことを主張すれば良いというわけではない、ということです。

 納得感があれば良いというものではなく、機能すれば良いというものでもなく、これまでの蓄積を尊重し、理解し、それを発展させて新たな境地を切り開くことが求められます。私自身、この行為の重要性を認識するがゆえに、『領域を超える経営学』の参考文献・ウェブサイト一覧には200以上の文献が並んでいるのです。

 とくに社会科学の研究では、これまでの偉大な先人たちが編みあげてきた「知の系譜」を自分なりに再編纂し、そこに新たな系譜、少なくとも新しい方向に向かう1本の糸を紡ぎ合わせなければなりません。

 そして、その新しい方向性に向かう1本の糸が、この世界に関する普遍的な理解を深める可能性を示す必要があります。また、可能な限り、特定の企業が特定の状況で用いた特殊な事柄を調査するよりも、できるだけ多くの事例に当てはまる法則性を発見することが趣向されているかと思います。

 さらに、より再現性が高く、より根源的な、「世の中の仕組み」を解き明かすことのほうが高い価値を認められるのが、現代における欧米の経営学の世界かと感じています(この理解には異論もあるかと思いますので、コメントは大歓迎です)。

 少なくとも、これまでの学術研究を完全に無視して、「自分はこんなことを発見して、こう思った!」というようなことを書いても、たとえばオックスフォード大学では絶対に博士号は取れないはずです(*2)。

 こうした作業を経験してきた研究者から見れば、たとえ「下書き」であっても、どこかから引っ張ってきた文章を数十ページにわたって貼り付けることなど、完全に想像の範疇の外にあります。自分がつなぎ合わせたはずの知識体系を一覧する「Reference」が、他の論文からのコピー・アンド・ペーストとなるとは、異次元の世界の出来事のように感じるのです。

 *1 Wikipedia. 26 February 2014. "Standing on the shoulders of giants", http://en.wikipedia.org/wiki/Standing_on_the_shoulders_of_giants, (accussed 2014-3-14). 

 *2 事実、2007年の記事によると、約2割の博士候補生は入学後7年経っても学位を取れないそうです。The Guardian. 2 October 2007.  "A race to the finish.", http://www.theguardian.com/education/2007/oct/02/
highereducation.postgraduate
, (accussed 2014-3-11).