先日、山梨県観光推進会議に出席した。2020年の東京五輪に向け、山梨県は増加が見込まれる外国人観光客の受け入れ強化に乗り出す積極的な姿勢を見せた。元観光庁長官で同県顧問の溝畑宏さんも会議に出て、観光推進会議の委員たちと一緒に山梨の観光振興策を協議した。

山梨県の「桃源郷」

 その中で、山梨県の桃の花を観光資源としてどう活用すべきかという課題が浮かび上がってきた。ご存じのように、山梨県甲府盆地の東に笛吹市という自治体がある。市の中心を流れている笛吹川から取った市名だ。笛吹川対岸に広がる、なだらかな斜面をなす扇状地は、生産量日本一を誇る桃の栽培エリアだと言われている。春になると、そのあたり一面、桃の花に覆い尽くされ見事な景観となる。まるでピンクの絨毯を敷き詰めたようなその景観があまりにも素晴らしいので、このあたりは「桃源郷」と呼ばれている。

 しかし、会議の中では、委員の中から苦悩の声が漏れてきた。桜の花見と時期的にはほぼ重なっているため、国内の観光客は効果的に引っ張ってこられない状態にある。八王子など東京の隣接地域の駅前などの繁華街に赴いて、桃の花の枝を通行人に配ったりしているが、観光客の誘致にそれほど繋がっていない、という。

 そこで私は記憶の倉庫に追いやったある出来事を思い出した。それは6、7年前のことだったのだろうか。在日中国人教授らを中心に作られた日本華人教授会議のメンバーたちが日帰り旅行を企画していたとき、ちょうど桜の花見がピークを過ぎたこともあって、私は笛吹市の桃の花見を推薦した。休日に家族連れも含め20人近くで笛吹市へ移動した。県の観光担当者の骨折りもあって、日本での初めての桃の花見ツアーは大成功を収めた。その後、桃の花のシーズンになると、家族連れで笛吹市を何度も訪れた人もいた。

 中国人にとっては、桃の花見は桜のそれよりも遙かに身近なものだ。桃花を謳う詩も夥(おびただ)しく残っている。日常会話の中にも桃の花が生きている。

 たとえば、男女の意外な出会いを「桃花運」と表現する。「他交桃花運了」とは、彼が女性との交際に成功したといった意味のことを言う。ここの「桃花」という表現に、「梨花」や「リンゴの花」、「苺の花」を置きかえても、もとの意味は生きて来ない。