飽食の時代、日本ではウサギというとペットを想起するようで、「ウサギを食べる」というと眉をひそめる反応すら出現しているが、本来ウサギは食用である。私も幼児の頃に、母方の祖父の家を訪れた際、飼育していたウサギを食べ尽くしたことがある。

アナウサギ ノウサギ
アナウサギ ノウサギ

 これらは飼い兎、動物学的にはアナウサギだが、野生の兎たるノウサギも、別種ながら食用としている。唱歌『ふるさと』の「兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川・・・」とあるのは、子供なりの食料確保の手伝いの情景であって、兎を追いかけて単に遊んでいるのではない。動物性蛋白質の不足がちな、かつての農山村ではふつうの光景であった。

 実際、学校をあげての兎狩りの行事もあった。勢子を使って山狩りをし、兎を捕る。勢子は多いほうが広い範囲を覆えて効果的だから、全校児童が参加して兎を追う。捕獲した兎を業者に売って得た「兎基金」で学校備品が調達されたりしていた。農林業に被害のあるノウサギを駆除し、自然に親しみ、協力作業を教え、教育資金も得られる、すばらしいイベントがあったのだ。

 杉や桧の植林、山地開発の進行等によって山に棲む獣の数は減少し、ノウサギも減り、学童の数も減った。社会の変化に伴ってこういう風習は失われてしまった。

とぶから1羽

 たいがいの獣、つまり哺乳類は1頭、2頭と数える(小型獣は匹でも数えるが、学術的には「頭」の使用が多い)が、ウサギは1羽、2羽と数える。獣肉を禁ずる仏教戒が広まっていったとき、ウサギは跳ねる=「とぶ」から鳥であるとして、食用を可とするために、鳥の数え方を流用したとされる。そうだとしても、まずはウサギが古来からのよく使われていた食材であることが前提で、食習慣が保持できる方向へ解釈されたのだろう。ウサギは身近にいて、捕獲も容易であった(何せ子供でも捕らえられる)ことも、食習慣を支えたであろう。狩猟漁撈採食をしていた頃の日本人、縄文人の遺跡からも、ウサギの骨は全国で出土していて数も多い。

将軍も宮中も

 近世の日本人は肉食をしなかったの如く思われているが、原始以来の肉食習慣は綿々と続いていた。特に食資源としての山の幸が重要な山村では。また、武家では軍事訓練を兼ねて狩猟、山狩りは伝統として続けられていた。