フランク・ギルブレス&リリアン・ギルブレス 現在のマネジャーたちはギルブレス夫妻をかえりみない。それはおそらく、彼らが考え出した理論が今では時代に合わないからかも知れない。

 動作研究は作業者が仕事の中で行なう動作の詳細な調査を必要とした。しかしそこからギルブレス夫妻は、近代的な職務単純化や有効な標準作業化、インセンティブ賃金制度の概念の基礎を築いた。これは、従業員の作業効率を向上させるには労力の低減とストレスの最小化をバランスさせる必要があるというフランクの考えと、マネジメントの心理学的側面に対するリリアンの関心によって成し遂げられものだ。

人生と業績

 フランク・ギルブレス(1868―1924年)は、レンガ職人としてキャリアをスタートし、27歳まで実績を積んで技術コンサルティング会社ギルブレス社を設立した。彼の最大の関心は訓練や作業方法、作業環境や道具の改善、健康な労働条件の創出を通して労働者の潜在能力を最大限に引き出すことにあった。フランクは科学的管理の支持者で、その実用的応用法を発見した最初の人物の1人だった。彼はF・W・テイラーと意見が対立することもあったが(たいていはテイラーがフランクの研究を自分の研究だと主張したり、まったく新規性がないと非難したことが原因だった)、テイラーの手法を支持しており、管理科学促進協会(テイラーの死後テイラー協会と改名された)を設立した。

 フランクとリリアンは1904年に結婚し12人の子供の親となった(娘の1人は5歳の時にジフテリアで亡くなった)。フランクはどうやらリリアンに息子6人と娘6人が欲しいと言ったようだ。リリアンは1941年のニューヨークポストのインタビュー記事の中で、「いったいどうやったら12人の子供を持って仕事を続けることができるというの」と夫にたずねたら、「僕たちはマネジメントを教えてるんだから自分で実践してみなくては」と言われたというエピソードを披露している。

 リリアン・モーラー・ギルブレス(1878―1972年)は、創造的ひらめきに満ちた女性だった。当時の非常に男性的な社会において、リリアンは驚くべき業績の数々を残した。特に彼女がフランクと進んだ技術コンサルティングの分野は完全な男社会だった。彼女が経営心理学の博士論文を完成させた時、カリフォルニア大学はキャンパスに戻って1年間の専門教育を受けなければ博士号は授与しないと決定した。これは非現実的だったので、ギルブレス一家は東海岸に移り、リリアンはブラウン大学で応用経営学の博士課程研究に着手。「教育における無駄を排除するための諸要素」(Some aspects of eliminating waste in teaching)というタイトルの新しい博士論文を書いた。

 彼女は1915年にようやく博士号を取得した。

 リリアンは、家庭の切り盛りや子育てをこなしたうえに、ギルブレス社でフランクと二人三脚で働いた。1924年にはフランクの死後数日でヨーロッパへ飛び、プラハの国際経営会議で彼が発表する予定だった論文を発表した。未亡人となったリリアンはギルブレス社の仕事を続け、動作研究に関するセミナーを開催し、女性だからという理由だけで断られたものを除いてはすべてのコンサルティング案件を引き受けた。