「あるじゃん!」の先が求められる社会科学の世界

琴坂 研究をされてから、もう一度マッキンゼーに戻ってきて、研究の経験が活かされたことはありますか?

安宅 うーん、研究のほうがより緻密なわけです。コンサルティングというのはより雑だけど、その代わり速いよね。5つの論文くらいの内容を数ヵ月の1つのスタディ(プロジェクト)で一気にやるイメージ。

琴坂 自分は、特定の状況で、特定の会社の、特定のイシューに対する解決の選択肢を出すのがマッキンゼーという会社だとも感じています。それに対して研究は、99%の精度で、できるだけ一般化できて、できるだけ再現性があって、できるだけ厳密な議論をつくっていくという印象です。

安宅 琴坂さんは社会科学で理論系のことをやっているから、とくにそう感じるんだろうね。サイエンスの世界では、再現性が絶対に必要なんですよ。とくに、僕は物体をつくっていたので、再現性もへったくれもない。「これを使えばいいだろ」でいいんです、物体があるわけだから。「あるからどうぞ、以上」なんです。

琴坂 もう1つ、これも自然科学と社会科学の違いで、社会科学は厳密な根拠に基づいた理論をつくってから、説得の作業があるんですね。理論をつくったあとに、この理論は素晴らしいんだよとプレゼンテーションして回る作業です。大学で講演したり、飲みながら説得するという作業があって、少しずつ地道に、自分がつくった論理を布教していかなければいけません。

安宅 それは、つらいねぇ。

琴坂 自然科学の研究が「あるじゃん!」の世界で、数学やゲーム理論の研究も「これ解けてるじゃん、この数式を見ろ」ですよね。

 実は社会科学の領域でも、こういう説得の作業がいやだという人が増えてきているんです。そうすると、とても高度な定量分析をするんですよ。「これは○○分析をすれば統計的にこうなって……ほら!」って。

 なかには、そもそも前提条件が違うんじゃない、という定量分析がたくさんあるのも事実です。でも、そのあやしい前提条件を用いて分析したらこうであった、という定量的な分析の結果は揺るがないので。それで査読誌に載ってしまうこともある。

安宅 それはちょっと微妙だね。まだマッキンゼー的なやり方のほうが、実際の世の中の問題に対して、行動に移せる答えを出しているからね。

琴坂『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社)の中でも書いていますが、社会科学の領域は絶えず自然科学に対する羨望を抱いているみたいで、厳密で、確固たる簡潔なロジックをどんどん目指しているようです。ただ、実務家から見ると、そもそも設定条件が間違っているでしょ、というものがたくさんあるんですよね。

 しかも、そういう論文を大量に量産しないと生き残り難いというインセンティブ設計がなされているので、若手はそうした論文を書かざるを得ない状況に追い込まれたりする。私みたいに理論研究を定性的にやっていると、「若造のくせに何を言っているんだ」という類いの批判は欧米でも受けます。そんなことをやっている暇があったら、データセットをつくれ、オレの理論を実証してみせろという話になるんです。

安宅 そうなんだ(笑)、それはいやだよね。でもそうなるんだろうな。

琴坂 さすがにオックスフォードに5年間弱もいたので、自分はもうあまり欧米に対する憧れがありません。素晴らしいところももちろんたくさんありますが、まぁ現実もありますよね。