真山 最初から強い決意があったわけではなく、分析すると残るだけのメリットがある、ビジネスチャンスがあると思ったということですね。

岩佐 まさにそうですね。もともとイチゴの産地だった山元町は先端施設園芸で世界的な産地を形成できるポテンシャルがあると思ったんです。経営者として非常に冷静に数字を見極め、儲かるビジネスになり得るか判断しました。

真山 今のお話はすごく腑に落ちました。岩佐さんの行動に感動する人はいっぱいいると思います。でも、それだけの理解で真似しようとすると、絶対に失敗する。「いいことをしたい」という感情だけでは、どこかで無理がくるからです。ビジネスとして成功させるためには、どれだけ投資してリターンを得るかという、経営の目線がとても重要になります。

【前編】被災から3年経った今だから見えてきたこと岩佐大輝(いわさ・ひろき)
1977年、宮城県山元町生まれ。日本、インドで6つの法人のトップを務める経営者。高校卒業後に上京。パチプロになる。その後、フリーのプログラマーになり、競馬ソフトなどを開発。大学在学中の2002年にITコンサルティングを主業とする株式会社ズノウを設立。東日本大震災後は、特定非営利活動法人GRAおよび農業生産法人GRAを設立。先端施設園芸を軸とした「東北の再創造」をライフワークとするようになる。故郷のイチゴビジネスに構造変革を起こし、地域をブランド化。大手百貨店で、ひと粒1000円で売れる「ミガキイチゴ」を生み出す。2012年、グロービス経営大学院でMBAを取得。2014年「ジャパンベンチャーアワード」(経済産業省主催)で「東日本大震災復興賞」を受賞する。同年3月、初の書籍『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』発行。公式サイト:http://www.iwasa-hiroki.com/、GRA公式サイト:http://www.gra-inc.jp/

岩佐 さらに言うと、復興後も根づく産業かどうかも判断のうちでした。たとえば、震災後の東北は復興需要にわき、建物の建て直しのための土木事業者は数が全然足りておらず、僕の所有する施設も、建て増すのに半年も待たなければいけないほどでした。しかし、全国から集まる土木の職人たちは家族を連れてはきていなかった。彼らが地元に根づくことはありません。そうした産業だけに依存することはとても危険だという思いもあったんです。

真山 復興が終わった後も現地に根付いて、雇用を生み出せる産業が必要だと。

岩佐 雇用なくしてはなにも前に進まない、と僕は思っています。今後、町やコミュニティーがどのように発展していくのかを考えた時に、雇用があることが大前提なんです。しかも、東北はもともと過疎が進んでいて、経済も壊滅的だったわけですから、以前のような産地を「復興」させるだけでは駄目。だからITの力を使って農業にイノベーションを起こし、やるからには世界一のイチゴの産地を目指すことにしたんです。