福島県いわき市にあるスパリゾートハワイアンズ。映画「フラガール」で有名な施設は、東日本大震災の翌月、2011年4月11日「4.11」に壊滅的な被害を受け、閉鎖もささやかれていた当施設だが、2011年10月に部分オープンで営業を再開、2012年2月にグランドオープンを果たし、2013年には来場者累計6000万人を達成した。

現在も福島県内から多くの観光客が訪れる。「復興のシンボル」と言われるハワイアンズは、震災後、どのような困難を乗り越え、いかにして復興を果たしたのか。フラガールをはじめとした従業員たちは、震災後、何をしていたのか。前編に続き、当時の統括支配人(現在はレジャーリゾート事業本部業務改革室長兼人事部長)の下山田敏博氏にお話を伺った。(聞き手・構成/ダイヤモンド・オンライン編集部)

黙ってじっとするより、
自ら動く

上からの指示がなくともお客様を助けられた理由は<br />創業時の「5つの精神」にあった<br />――スパリゾートハワイアンズ前統括支配人に聞く、震災と復興の今【後編】しもやまだ・としひろ
常磐興産株式会社レジャーリゾート事業本部業務改革室長兼人事部長。スパリゾートハワイアンズを運営する同社の、3.11の時の統括支配人。震災の3ヵ月前に辞令を受け、2014年4月までの3年5ヵ月現場を務める。現在は社内の人材育成や業務改革などを行う。

――震災後、長崎のハウステンボスが声をかけてきたのですか?

 はい。「ハワイアンズさん、震災で大変でしょう。長崎に来て一緒に働きませんか、研修で受け入れますよ」と言ってくれたんです。これはもう本当にありがたかったです。サービスは普段から仕事をしていないとその腕が鈍ります。経済的にも助かりましたが、そういった点でもハウステンボスさんのご提案には感謝いたしました。

 また、閉鎖した施設の使える棟に限り、二次避難の受け入れ先として機能させることになりました(二次避難の受け入れは、福島県の事業としてスタート)。具体的にはいわき市のすぐ北に位置する広野町の方の受け入れです。原発から30キロ圏内に入っていたため、人口5500人が強制退去となったんです。

 5月23日から受け入れを開始、9月11日まで112日間受け入れを行い、延べ3万2000人くらいの方を受け入れることができました。

 こうした動きは、残って働く者たちにとって、大きな支えとなりました。

 再開の目処さえ立たない状況下で、私たちの仕事は連日、掃除と片づけでした。先の見えない中、毎日「マイナスをゼロにする」ような作業の連続で、正直嫌になってしまうときもありました。こんな日々がいつまで続くのだろうと。

 しかし、研修や二次避難の受け入れによって、「お客様や地域住民の方のために」という使命感のようなものをいただき、私たちは前を向いて動けるようになりました。そういう意味では、私たちも支えられたんですね。