この3月31日、日本の南極海における調査捕鯨の即時停止を求める判決を、国際司法裁判所(ICJ)は下した。つまり日本の全面敗訴だ。

 この判決を伝えるテレビ・ニュースのほとんどは、「これで鯨が食べられなくなる」とか「日本の食文化を理解していない判決だ」などのいわゆる「街の声」をセットにしていた。要するに日本中が怒っている。でもリモコンを片手にテレビを見ながら、だんだん不思議な気分になってきた。

 ICJの判決は、「日本の調査捕鯨は科学的な研究に該当しないから中止すべきである」との内容だ。つまり捕鯨そのものを否定しているわけではなく、日本の調査捕鯨には科学的な合理性がないとの判断だ。これに対して「これで鯨が食べられなくなる」や「日本の食文化を理解していない」と反論するならば、結局は「捕鯨の目的が調査以外にあるのでは」との判決の正当性を強化することになる。

 国際捕鯨委員会(IWC)が商業捕鯨一時停止(モラトリアム)を決議した1982年のときならば、「これで鯨が食べられなくなる」や「日本の食文化を理解していない」などの反論に、一定の有効性はあったかもしれない。でもこのとき日本は、当初は異議を申し立てたけれどすぐに撤回し、その後は申し立てを行っていない。つまり一時停止の決議に同意して、南極海では商業捕鯨をしないことを世界に約束した。ちなみにノルウェーやアイスランドなどはこの決議に留保を示して異議申し立てを行い、今も商業捕鯨を行っている。

反論するなら調査捕鯨の合理性を訴えるしかない

 要するに今回の判決に対して反論するのなら、1987年から始めた日本の調査捕鯨に、科学的な合理性があることを訴えるしかない。副産物としての鯨肉は有効に利用することが認められているが、目的は鯨肉ではなく調査なのだと主張することが筋なのだ。しかしそんな声はほとんど聞こえてこない。「街の声」がいみじくも示したように、調査捕鯨についての目的と副産物が明らかに転倒している。