事業家・渋沢栄一を
支えた論語の理念

 江戸時代後期、幕末に近い1840(天保11)年に生まれた渋沢は、明治、大正、昭和の時代にかけて、日本の近代産業の発展に多大な貢献を果たしました。第一国立銀行や東京証券取引所をはじめ、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙、帝国ホテル、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績などなど、あらゆる産業における多種多様な企業や団体の設立・経営にかかわりました。STAP細胞問題で世間の耳目を集めた、あの理化学研究所を創設したのも渋沢でした。その数は500以上に上ったといわれています。もっとも、事業に成功しても私利私欲を追わず、ひたすら公益を追求し、資本家による富の独占を許さず、自らも資本家の代表になるようなことはありませんでした。

 その渋沢の事業家としての生き方を支えたのが論語でした。70歳を過ぎてから『論語と算盤』を著し、「利潤と道徳を調和させる」という、経済人がなすべき道を示しました。いわゆる「道徳経済合一説」という理念は、モラルとビジネスの両立を掲げ、「国全体を豊かにするためには富は全体で共有するものとして社会に還元すべし」と説いたのです。

 実業界から引退したあと、自身の長い人生経験や事業体験を論語の章句に即しながら平易にまとめた本書もまた、実業の基礎となるべき精神的な側面、すなわち経営や経営理念のあり方を説いています。たとえば論語の「里仁篇」に収められている「子曰(いわ)く、君子は義に喩(さと)り、小人(しょうじん)は利に喩(さと)る」。これが意味するところは、ひと言でいえば「目先の利益にとらわれるな」ということですが、渋沢は次のように解説を加えます。

 私は、必要な事業には投資をする。その際の判断基準は、利益でなく道理である。そうはいっても、利潤を度外視するわけではない。利潤は、第二に考えるのだ。

 事業を起こし発展させるには、資本が必要だ。資本を集めるには、利潤をあげなければならない。事業は利益を伴うものばかりではない。利益本位で事業を起こしたり、これに関係したり、その株を持ったりするのならば、利潤のあがらない事業の株を売り払わなければならないことになる。それでは結局、社会が必要とする事業を育成できない。

 ……事業をすべて損得で考えて出資するかどうかを決めていれば、社会に必要なのに利潤があがらない事業は発展しないことになる。それゆえ私は、必要な事業は利潤を第二に考え、起こすべきは支援し、利潤をあげるように経営にあたるべきものと考える。この精神で、私は種々の事業に関与しているのである。関係する会社の株が上がるかどうかを考えて株を持ったことなど、いまだかつて一度もないのである。(216~217ページ)