小さい頃の、「月待ちの滝」を世に出したいという夢が、緑の蕎麦をも創りあげました。その滝水にかかるオゾンを浴びに、遠くから人は惹き寄せられます。

 奥久慈の蕎麦屋には緑色のオーラが降り注いでいます。

(1)店のオーラ
コーヒーハウスから、蕎麦一本へと決心

先代からの私有地にある「月待ちの滝」、滝の裏側にも入れ、心静かにオゾンを浴びます。

 そこには客たちのために大掛りな舞台が用意されていました。さわやかなオゾンがふり注ぐ中で、皆、滝落ちの澄んだ水音に耳を傾けます。

 「月待ちの滝 もみじ苑」、これ以上の舞台装置を持つ蕎麦屋は、かつて見たことがありません。蕎麦はあたかもスポットライトを浴びているようで、美しく輝いています。

 「小さなときからずっと、この滝を世に出したいと思っていました」

 「月待ちの滝」の亭主の大関仁(ひとし)さんが、その思いを口にします。

 この地は、大関さんの父親が滝水を利用して、水車で精米を商っていました。その頃は、馬の背に籾(もみ)を乗せて運んでいたそうです。やがて、「月待ちの滝」を後にして、一家は少し離れた自宅に移動して製麺所を営みました。

 大関さんの小学生の頃、「月待ちの滝」は獣道が一本あるだけの忘れ去られた場所になっていました。

木々が奏でる風の音、水車小屋の風景、ゆっくり流れる時の中で手繰る蕎麦は格別です。

 「ログハウスを建てコーヒーを楽しんでもらって、この滝のよさを見て欲しいと思いました」

 コーヒーは高校時代から友人たちと生豆まで買ってきて、炭火焙煎をしていたそうです。

 銀座のコーヒーの名店「ランブル」にも度々研究に出かけたそうです。父親を説得し、危ぶまれながらもコーヒーハウスの開業にこぎつけました。

 コーヒーだけでは商いにならないと考え、実家の蕎麦と饂飩の生麺を茹で上げて出しました。それは自分の予想よりは好評だったそうです。しかし、開店4年目に店は曲がり角にきます。

“君のところの美味いピラフの作り方を教えてくれないか”といわれ、自信のない食材を使っていて説明に窮したことがありました。

 そんなところに茨城の場所柄、ふと手打ち蕎麦への思いが強くなってきていました。