日本の弱点であるベンチャー・ファイナンスを、
これ以上遅らせてはならない

――嫌な想像になりますが、今回の規制案がそのまま通ってしまった場合の、日本経済、日本全体への影響を具体的に教えていただけますか?

郷治 今回、独立系ベンチャーキャピタリストで意見書を出した際に、内部調査をしたんですね。17本のファンドについて回答を得たんですが、そのなかで金融庁の規制案をクリアして出資者が全部カバーできたのは4本しかありませんでした。
 日本テクノロジーベンチャーパートナーズ(NTVP)の村口和孝さんが創業期のDeNAに出資していたことは有名ですが、今回の規制案では村口さんのファンドも成立しなかったのです。DeNAのようなベンチャーが、どれだけ生まれにくくなるのか、ということですね。

磯崎 もし、今回のファンド規制が導入されると、日本はおそらく先進国で一番ファンド投資規制が厳しい国になってしまいます。米国では、個人がファンドやベンチャーに出資する条件は純資産100万ドルまたは年収20万ドルといった条件です。有価証券などの投資性金融資産だけで1億円以上を保有していなければならず、収入基準もない今回の規制案はこれよりキツいことになります。
 しかも、日本と米国のベンチャーキャピタル投資は30倍程度、エンジェル投資の量には200倍以上もの開きがあります。ベンチャーに投資をしてくれる人がただでさえ少ない中、いきなり米国をはるかに超える規制を導入してしまったら、ベンチャーキャピタルへの資金が断たれ、ベンチャーにも潤沢に資金が回らなくなって、日本経済の発展に大きなダメージを与えてしまうことになりかねません。

郷治 こういう規制がない国では、もともと有価証券など1億円以上も持っていない普通の人でも、投資を受けて起業して成功したり、そうした起業家を早くから応援してリターンを得たりして、さらに次の世代に投資をするということもある。そうした循環が日本では生まれないことになります。
 民間のお金が、特に個々人の間でスムーズに循環するようにしないと、ベンチャーに取り組むパッションとかも循環していきません。官のお金だけはどんどんベンチャーに流れ込んでも、それの実際の担い手となる個人、起業の独特の苦労や興奮を肌でわかっている個人が、ベンチャー投資に参加することを原則的に禁止して、そのような人たちがベンチャー支援の現場に少なくなってしまうと、結局、日本は負け戦になってしまうと思います。

磯崎 さらに基本的な前提として認識しておくべきことは、規制前の現在であっても、日本はベンチャー・ファイナンスの分野で大きく遅れをとっているということです。日本の人は決して頭が悪いわけじゃなくて、世界的に認められる技術や文化をたくさん持っている。グローバルな時代ですので、ほとんどの領域では、多少の優劣はあっても、数年以上の差が付いている領域というのはまずないはずです。しかし唯一、米国に数十年の遅れを取っている領域がベンチャー・ファイナンスなんです。先進国の間でこんなに遅れている領域って他にはなかなかない。おそらく日本の成長のボトルネックになっているし、2年後に日本でも米国並みのベンチャー投資が行われるようになっているかというと、残念ながら、そんなことはまったく期待できません。
 なぜかというと、ベンチャー投資を活性化するためには「生態系全体」が育つ必要があるからです。設立したばかりの「シード」に投資をする人、成長期をささえる人、弁護士、監査法人、証券会社、証券取引所といった非常に多様な人達が協力しあって、はじめてベンチャーが成長していけるのです。そうした人と人との関係は一朝一夕には構築できないので、生態系が育つには10年単位の時間がかかります。
 そして、ベンチャー投資は回収まで5年10年といった長い年月が必要なので、その長い期間の連鎖のどこかが途切れるだけで、ベンチャーに供給される資金は、萎縮して逃げてしまうのです。つまり、回収の見込みがなくなれば、投資する人もいなくなり、資金が供給されなければベンチャーの従業員や取引先も食べていけなくなってしまうのです。
 そうした状況のなかで、日本のベンチャー環境をさらに不利にするというのはいただけません。安倍政権はベンチャーを非常に盛り立ててくれているので、いい流れだと思っていたんですけれども、それと真っ向から対立する話になってしまうわけです。はたして同じ政権でやっていいことなのかと。

――たしかに、ベンチャー企業の育成拡大が安倍内閣の成長戦略の柱の1つです。

磯崎 我々独立系のベンチャーキャピタルだけじゃなくて、役所やマスコミや国会議員や学者のみなさんの中にも心配している人が多いんですよ。自発的にこれはまずいと思っている人があちこちにいる。

郷治 まあ、今回の件については、「これはいかん!」という問題意識が広がるぐらい日本のベンチャーへの意識も高まってきたんだな、という実感も持っています。

磯崎 とにかくこれは、国民経済に大きく関わることなので、国会も開かれていない今の時期に、政治的駆け引きで「えいや!」で決めていい話ではないと思います。
 年収3000万円とか資産5億円の人がファンドに投資できないというのは明らかに過剰な規制です。しかし、では、米国と同様年収2000万円以上ならいいのか? 投資家の少ない日本では年収1000万円以上にすべきなのか? 今まで誰彼かまわず声をかけていた悪徳業者のハードルは、ファンドの出資者「全員」が一定の要件を満たさないといけないとすると、それだけでかなり上がるのではないか? といったことは、きちんと科学的に考えないと決められないはずです。
今回の規制案は、一度白紙撤回していただいて、こうしたことを、データに基づいて、時間をかけてきちっと議論していくべきだと思います。

郷治 はい。ベンチャーや起業を盛り上げなきゃいけないというムードが、大企業や会社型ベンチャーキャピタルだけでなく、起業家にも独立系ベンチャーキャピタリストにも、私の周りのキャンパスで歩いている研究者にも学生にも、そして、ごく普通の人たちにも、徐々に広がってきているなかで、国にはぜひ、こうした個人の方々の活力を無駄にしない、むしろ活かすための政策をやっていただきたいと思います。今回の議論が、望ましい規制のあり方についての認識を深めることになればうれしいですね。
 これまで独立系ベンチャーキャピタリストのファンドを個人として支えて出資してきた方々、そういう個人の方々の出資したファンドから投資を受けて、いろいろなアドバイスももらって助かったことがある起業家、そうした起業家から新しい製品やサービスの供給を受けた顧客の方々、ベンチャー企業やファンドなどの企業法務に詳しい弁護士、そして、日本経済のパイをこれからどうやって伸ばしていくのかを真剣に考えていただける心ある政府の方や政治家の方も入れて、きちんとした丁寧な議論がなされることを希望します。


【新刊のお知らせ】

不合理なファンド規制が<br />ベンチャー生態系を破壊する定価:本体3,600円+税
発行年月:2014年7月
A5並製、頁数:432
ISBN:978-4-478-02825-4

◆磯崎哲也 『起業のエクイティ・ファイナンス

2010年に発売されるや、ベンチャー関係者のバイブルとなった『起業のファイナンス』の続編。ベンチャーが活況を呈し、M&Aも一般的になった結果、起業をめぐるファイナンスも優先株式等を使った複雑なものになってきた。そうした実情に対応し、本書ではより専門的なエクイティ・ファイナンスの実務手続きを解説する。

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