ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由
【第5回】 2014年7月24日
著者・コラム紹介バックナンバー
杉本宏之 [起業家]

第2章 暗雲-- 「傲り」を象徴する出来事が
僕を蝕み始めていた【その5】
「『業績』という名の魔力が経営者の正気を奪う」

1
nextpage

ゼロから起業し、エスグラントは上場を果たしものの、リーマンショックにより全財産を失い破綻、その後再びゼロから起業、成功させた若き経営者が心に刻んだ教訓を綴った『30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由』の出版を記念して、第2章を順次公開。上場を果たしてまさに人生の絶頂にあった著者の視界に暗雲が漂い始めます。第5回は業績の魔力におかしくなっていく著者を描く。

「業績」という名の
魔力が経営者の正気を奪う

 銀行の態度が変わるのと前後して、社内で気になる「変調」が起き始めていた。引き金になったのは、副社長を任せていた川田の退社だった。

 川田は、私がワンルームマンションの世界に飛び込んだ会社での上司だった。エスグラントの業績が好転し、上場を目指して走り始めた時、社内体制を強化するために入社してきてくれたのだ。

 「社長、本日からお世話になります。よろしくお願いします」
以前の上司で、年齢も6歳上の川田だが、入社当日、居ずまいを正して敬語で挨拶してくれたことを覚えている。上場を果たし、一緒に会社を成長させてきた仲間だった。

 それが、世の中の風向きが変わり、会社の行く末に不安の陰が見え始めるとともに、エスグラントから去って行ったのだ。それまで一枚岩だったエスグラントの結束が、微妙に揺らぎ始める。

 川田が辞めたきっかけは、グループ会社の役員が集まる月例会議でのことだった。

 サブプライム問題表面化の影響もあったのだろう。川田に任せていた営業部門の成績が数ヵ月間低迷していた。さらに、川田の肝いりで仕入れた芝浦プロジェクトが近隣住民の反対とマスコミの煽りでストップした。建築を計画していた大規模マンションを建てられなくなったのである。苦肉の策で隣地を買収し、36階建てのツインタワーにするという代替案が出されたが、この金融情勢では実現するために相当高いハードルがあった。

 「川田さん、責任はどう取るおつもりですか?」
「すみません……」
「この状況では降格は免れませんよ」

 経営者として海外IRなどで世界を駆け回り、資金調達に奔走していた私は、役員の心のケアまで頭が回らなくなっていた。

 年上の元上司だったこともあり、それまで私は川田のことを「副社長」と呼んで一定の敬意を示していた。ところがこの時は言い訳無用で断罪した。川田にとって、耐えがたい屈辱だったに違いない。

1
nextpage
スペシャル・インフォメーションPR
ダイヤモンド・オンライン 関連記事
自分の時間を取り戻そう

自分の時間を取り戻そう

ちきりん 著

定価(税込):本体1,500円+税   発行年月:2016年11月

<内容紹介>
生産性は、論理的思考と同じように、単なるスキルに止まらず価値観や判断軸ともなる重要なもの。しかし日本のホワイトカラー業務では無視され続け、それが意味のない長時間労働と日本経済低迷の一因となっています。そうした状況を打開するため、超人気ブロガーが生産性の重要性と上げ方を多数の事例とともに解説します。

本を購入する
著者セミナー・予定
(POSデータ調べ、11/20~11/26)


注目のトピックスPR


杉本宏之(すぎもと・ひろゆき) [起業家]

1977年生まれ。高校卒業後、住宅販売会社に就職、22歳でトップ営業となる。2001年に退社し、24歳でエスグラントコーポレーションを設立。ワンルームマンションの分譲事業を皮切りに事業を拡大し、総合不動産企業に成長させる。2005年不動産業界史上最年少で上場を果たす。2008年のリーマンショックで業績が悪化、2009年に民事再生を申請、自己破産。その後再起し、エスグラントに匹敵する規模にグループを育て上げた。

 


30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由

業界の風雲児として急成長企業を育て、最年少上場記録を打ち立て、最高益を叩きだした矢先、リーマンショックで巨額負債を抱え破たん。どん底から再起動へと歩む起業家は、失敗から何を教訓とし、迷惑をかけながら支えてくれた人々に何を伝えるのか? 本連載では、『30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由』の一部を順次掲載していきます。

「30歳で400億円の負債を抱えた僕が、もう一度、起業を決意した理由」

⇒バックナンバー一覧