2002年11月、私はアメリカの南東部に位置するサウスカロライナ州カムデン市の空港に降り立った。空港の壁に中国の家電メーカー・ハイアールの広告が貼ってあるのに気付いた。私はまさにそのハイアールを取材するために訪問したのだ。

米国に「ハイアール通り」が誕生

 その1年半前の2001年4月5日、同市ではちょっと珍しい式典が行われた。この式典により、市内を走る大きな道路の名前が、「ハイアール通り(HaierBlvd)」と変わったのだ。これは中国の企業名を冠した最初のアメリカの道路である。

 さらに1年前の2000年春に、ハイアールは同市に3000万ドルを投資してアメリカにおける製造拠点を作った。製造拠点は面積44.5万平方メートルにおよび、第一期工事として、まずは年20万台規模の生産能力を持つ冷蔵庫工場を稼働させた。2002年初の時点で、中国企業がアメリカで行った最大の産業投資プロジェクトである。

 この冷蔵庫工場の製品はアメリカ国内の市場で評価されたばかりでなく、地元に200人近くの働き口も提供した。ハイアールのその貢献をたたえるため、市長がこの日、ハイアールの社名をこの通りに冠したのであった。

 2001年5月29日付の日本経済新聞では、「(ハイアールは)値段の安さとともにざん新なデザインやきめ細かいアフターサービスを武器に市場を開拓。本拠地、青島市の工場からの輸出品と合わせ、米国の中小型冷蔵庫市場で25%のシェアを占めるまでに急成長した」と報じている。

 サウスカロライナを訪れた翌日の早朝、ハイアールの工場に駆けつけた。旭日に映える工場と米中2国の国旗を目の当たりにして、感慨深いものが胸の中に去来していた。中国企業の海外進出の出発点を見た思いがしたからだ。